上司に見放されたくなかったから休めなかった。でも心は壊れていた

私はこれまでのところ休職をしたことはない。しかし、休職をしてもおかしくないような状態になっていたことはある。
あのときを思い出すことは辛いが、自分がどれほど大変な状態だったのか知るためにも今回書いていこうと思う。
2、3年前の話であるが、当時は信じられないくらい毎日眠かったし、今以上にやりたいことや、やるべきことができなかった。深夜残業手前の22時まで働いて、帰り道に空を見上げると、星が綺麗に瞬いているのだが、それとは対照的にパッとしない自分に嫌気がさす毎日だった。アウトプットを出さなければならなかったので、時間外や休日にも働いていた。もちろん無給で。
遅くまで働いている分ご飯を食べる時間と気力がなくて、不健康にげっそりして心配されることもあった。ため息をつくことが多くなり、自己肯定感は地を這うほどに低かった。
間違いなく自律神経は失調していた。何が原因かは分からない。コロナ禍で外に出なかったからか。3食きちんと食べていなかったからか。孤独を感じていたのが良くなかったのかもしれない。
ある時友達とご飯を食べに行ってる時にふいに泣いてしまった。今仕事が大変なのかと聞かれた時だった。そんなに浮かない顔をしていた自覚はなかった。むしろ、友達とのごはんを楽しんでいた。毎日忙しかったが、仕事は心から楽しいと思っていた。やりがいがあったし、成長を実感していた。
しかし、仕事は楽しいというのは実は思い込みで、とっくに限界だったのかもしれない。
頻繁に会う友達ではなかったので、前に会った時よりもだいぶやつれて見えたのだと思う。その時は友達と会う時ぐらいもっと笑顔で振る舞えなかっただろうかと申し訳なく思った。
私に休職するという選択肢はなかった。人一倍責任感が強くて、柔軟性がなく真面目なところがあり、絶対に上司から見捨てられたくないという思いがあった。上司から認められるとまでは行かなくても、見捨てられないようにするためには絶対に立ち止まってはいけなかったからだ。
その時耐えていなければ今の自分はなかっただろうし、休職の選択をしていれば、もっと自己肯定感が低くなっていただろう。休職していれば、私が私自身に自信を持つきっかけとなった別の上司との出会いはなかっただろうし、胸を張ってやりきったと言える仕事も任せてもらえなかったと言える。
だが、私が2年後には、自分に自信が持てるようになったということは結果論でしかない。
踏ん張ったら良いことがあると言いたいが、先日当時の上司と話した時、どうしてもぎこちなさが残ってしまって、苦手意識までは拭い去れなかった。
ひとつ思い出したことがある。
当時は音楽が手放せなかった通勤時や 長時間電車に乗る時は必ず聞いていた。スーパーに行く時やショッピングに行く時も イヤホンをさしていないと落ち着かなかった。音楽を聴くことに依存し始めたら、メンタルに限界が来ているサインなのかもしれないというのは心に留めておこうと思う。
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