3月11日、卒業式の前日。
テレビ画面には、斜め上から下に流れていくたくさんの飛行機と地上援助者。
灰色のコンクリートが泥水で覆われるそれはあまりに現実とはかけ離れていて、遠くに住む私の感覚としては、非現実としか思えなかった。
暖かな春の日差しの中、卒業式で黙祷をしたことを覚えている。

◎          ◎

毎年春になると、東日本大震災に関する特集がテレビで放映される。  当時は現実に思えなかったあの状況も、目で見て、認識することにより、本当に日本で起きたことなのだと、脳内が少しずつ認識できるようになった。

こういった記載をすると、同じ日本に住んでいる人間としての痛みや悲しみはないのか、と非難される気がしてならない。
しかし、「みなさん、」という言葉から始まる先生の注意が他人事に聞こえるように、自分に降りかかっていない出来事というのは、大小関係なく遠くの世界の出来事に感じるのではないだろうか。
自分が当事者になってはじめて、苦しみ、悲しみ、楽しさ、幸せを見出せるものだと思う。 そんな私も、被災者という立場に立ったことはある。

◎          ◎

2016年4月14日、地元の九州から離れ、大学の近くに1人暮らしをしていた私を襲ったスマホの警告音。
夜中だったこともあり飛び起きてスマホを確認すると、地元の熊本で地震が起きたという情報だった。そこからは家族と連絡をとり、無事であることを確認しとりあえず一安心し眠りについた。

幸い次の日実家に帰る必要があったため多少の不安を抱えながら地元へと足を向けた。
震源地からは遠かった実家だが、道路がぐにゃぐにゃと波打っていることがわかった。

「酔いそうだね」

そう言いながら迎えに来てくれた父と話し、実家へと帰った。
家は少し物が散乱していたが誰も怪我なく、片付けを手伝った。
そしてその夜、本震と呼ばれる地震に遭遇した。

◎          ◎

どん!という音から始まり、世界が横に揺れている感じがした。
いつ終わるのか、家は崩れないのか、家族は大丈夫なのか。
そう思いながら動くこともできず、声を出すこともできず、ただひたすら揺れが収まるのを待つばかりだった。
揺れが収まり両親が私の部屋に確認をしに来てくれても、心臓はどくどくと音を立てたまま、その日はよく眠れなかった。

朝が来た。 日が昇ると少しずつ状況がはっきりしたのか、地震のニュースも詳細を帯びていく。 昨日よりもさらに波打った道路を走りながら、とりあえず食べ物を買いに行った。 昨日までは豊富にあったコンビニの棚からはごっそり商品がなくなっていた。

◎          ◎

被災者としての私は、テレビに映るほどの被害を受けたわけでもなく、ドキュメンタリーにするにはあまりにもその他大勢すぎるのだろう。しかし、あの時私は確かに被災者だった。
大きさは違えど、生命を案じ、何気ない日々の生活の変化が起きた大勢かもしれないが、
あの時を境に、少しだけテレビの中にあった東日本大震災が現実味を帯びたのだった。

百聞は一見にしかず。
聞いただけより、見ることの方が何倍も自分事に感じることができる。
そして、見るよりも、体験した方が何倍も自分事だ。
しかし自然災害については体験していいという物ではない。
だからこそ、擬似体験、という形で身をもって体験してもらうことの重要性を感じる。
どんなにご立派なスローガンより、偉い方のありがたい講話より 1人でも多くの人が自然災害を擬似体験すること。

それが1人でも多くの命を救う鍵なのだと、私は信じている。