伝え、語りあわねば。生き残った私たちが震災に対してできること

2011年3月11日。インフルエンザで寝込む私に突如机の上の本たちが降ってきた。部屋の照明もグルングルン回り、家が軋む音がした。
東日本大震災。この地震が正式にそう呼ばれるようになるころには、私の暮らす関東南部は落ち着いてきていた。初めての経験で、津波で多くの人が犠牲になったこと、東北は冬が終わっていないこと、などどう気持ちに折り合いをつけて良いのか分からなかった。余震が続く中、始まったのは計画停電。信号も電灯も家の中もすべての電気が数時間止まった。外は、液状化現象が起きた。あの大きな地震が来る前にはもう戻れないことが日々の報道と現実によってつきつけられた。
そして始まった復興。自衛隊による現地での活躍は、今までの自衛隊に対するイメージを一新した。災害時の救助、食事、風呂の提供。被災した方々が少しずつ明るさを取り戻していく様子に心穏やかになった。
しかし、震災は簡単に終わらなかった。福島第一原発の被害により放射線量が上昇、被災地は一部立ち入り禁止となり、被災者も引っ越していき、人がどんどん減っていった。やがて放射線量の問題が解決に向かっても、世間の風当たりは強かった。農作物の風評被害や被災者への誹謗中傷。私は当時、余震が頭の中でずっと続くような症状を患っていたが、そのことよりも世間の分断が恐ろしかった。震災直後はあんなに日本が一丸となってこの惨状を乗り越えようとしていたのに。
今年で震災から14年。復興は進んだか、と問われれば答えは、はい。復興しきったか、と問われれば答えは、いいえ。未だ被災者が戻りたい、安全だと思えるような地にはなっていない。復興が終わるまで、東日本大震災は終わらない。復興が終わってもこの震災を語り継いでいかなければならない。助かるはずだった命のために。大切な人を失った人のために。犠牲に対するわずかな想いを持ち続けていたい。
ほかの震災を思い出せば、熊本も能登半島も復興は終わっていない。地震という予想のできない地球の生命活動に、私たちはどうやって立ち向かい、寄り添うのか。
東日本大震災では海外からの支援やボランティアが多く集まり、どうにか被災者を助けようと尽力してくれた。それは、国内のボランティアも同じだ。彼らの熱量と努力により進んだ復興があった。だが今はどうだろうか。文字通り風化し、いつもの日常を送っている人のほうが多いのではないか。そういう人たちを責めたいわけじゃない。私たちは今を生きるのに精一杯で、あの震災が今どうなっているか、熊本が、能登半島がどうなっているか、常に気にかける余裕はない。でも3.11、この日だけは震災や復興に想いを馳せてほしい。国がどれだけの施策をしているのか調べてほしい。それが適切なのか、多くの人と語らいたい。
被災者の年齢がどんどん上がり、今の小学生は東日本大震災を知らない。どれほどの揺れ、その後の津波、原子力発電所の事故、計画停電、避難所生活、仮設住宅での暮らし……。生き残り今を生きる私たちは伝えていかなければ。それがまだ終わらない震災に対してできることの1つだと思う。
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