「これがいい」の事実と言葉の裏に隠れているものに気づいたとき

結婚して数年が経つ友人は当時、「子どもは全く欲しいと思わない」と言っていた。なんでそんな話になったのか、振り返ってみた。
ちょうどその頃わたしたちは30歳目前で、「結婚ラッシュ」のその次の段階「子どもを持つ」ことを考えるフェーズの人が増えてくるころだった。私は別の友人から「グループで集まったときに結婚している人が複数いると、不妊に悩んでいる人もいるから、子どもの話題がとてもセンシティブになる。話したいことを素直に話せない……」ということを聞いたのだった。
そのことを彼女にポロっと話してみたら「なにそれ?そんなんで友人関係に影響があるなんて、なんか変」と言ったあと、彼女はさらに熱を帯びて、「子どもは全く欲しいと思わない」と言ったのだった。
私は彼女の気持ちの高ぶり具合に若干の違和感を抱いたのだが、後々、彼女は当時不妊で悩んでおり、妊活中であったことを話してくれた。「子どもが欲しくない」と思うようにすることで、彼女はうまくいかない妊活から自分の心を守っていたんだろう。
やはり「子ども」の話題は非常に繊細であると痛感したのだが、それよりも私は「今、目の前にある事実」や「その人が放った言葉」だけがすべてではないと知った。結婚して子どもがいない夫婦の中には、彼女のように不妊で悩んでいる場合もあれば、夫婦で同意して持たないことを選択していることもある。
そして、夫婦間で子どもに対する思いが異なり、悩んでいる人たちもいるだろう。「子どもがいない」という事実でひとくくりにしてはいけないと感じた。
一方で私は、今はお一人様でいることがとても心地よく、パートナーを作るつもりもないと公言している。けれど実は、友人たちと集まったとき、それぞれの子どもたちを抱っこしながら家庭の悩みや育児の話をされたら複雑な気持ちになっている。
私はその話についていけないから、とか、そんな子どもっぽいた理由ではない。「一人、最高!」と公言しているけれど、「一生涯一人であることで感じるかもしれない孤独」という存在を認識しはじめ、葛藤しているからだ。
いいお年になってから「やっぱり一人は寂しい」と思っても、そこからパートナーを見つけるのは簡単じゃない。今でもみんな大変そうなのに。友人たちはこの私がまさかそんなことを考えているなんて、思ってもいないだろう。
だから、彼女たちにしかわからない家庭や子どもの話をされたら「別にいいよね?あなたは“一人”を好んで選択しているんだから、子どもたちを連れて家庭の話をしても」と言われている気がして、モヤモヤしてしまうのだ。こんなの勝手な被害妄想で、友人たちにしたら迷惑な話。ただ、彼女たちもまた「選んで一人」という事実のみで私を見ているように感じてしまう。
30代を迎えてから、特に女性のライフステージでは色メガネをかけて物事を見ていたことに気づかされている。今目の前に見えている事実や言葉の裏に隠れているものがあるらしい。色メガネに気づき外すことで、誰かに優しくできるけれど、いろんなものが見えすぎて身動きが取りづらくなってしまったりもする。たまにはただ目をつぶり、休むことも必要かもしれない。
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