朝7時半、寒い手を温めるために買った日本茶を飲みながらほっと一息。
「今日、顔がないね!」
笑う男性上司に言われた一言でその日の仕事が始まった。
「すみません。これからメイクします」
驚いた私は顎下にあったマスクを急いで引き上げ、トイレにダッシュした。
鏡で自分の悔しいすっぴんを眺めた。
女性にメイクを強要する男性社会のために「女性らしい」顔を作る
女性がありのままの顔で出社して何が悪いのだろうか。
なぜ女性が会社に素顔でいるだけで「顔がない」とまで言われるのだろうか。
その時の私は悔しがりながらも上司の価値観に心を揺らされ、「女性らしい」自分になるためにメイクをすることにした。
お化粧ポーチを必死にもさぐり、化粧下地、ファンデーション、アイブロウペンシル、アイライナー、アイシャドウ、マスカラ、チーク、そして口紅で懸命に「顔」を作った。
下地・ファンデーションでクマを消し、肌のトーンを日本では美しいとされている美白トーンに上げた。アイブロウペンシルでは自分の眉毛より濃く長い曲線美を描いた。目元はアイライナー・アイシャドウで女性らしいぱっちりとした印象を作り、マスカラでまつげの女性らしいカールを強調し目をさらに華やかにした。最後にチークと口紅で顔に赤色を加えることでよりフェミニンな愛らしい仕上がりにした。
こうして「女性の顔」を取り戻した私は席に戻り、冷めた日本茶を一口飲んだ。女性にメイクを強要する社会への悔しさでいっぱいだった。
だが、それと同時にメイクをしていると安心感も感じた。顔のあらゆるパーツを女性らしく整え終えた私は自信が湧いていた。同じ席からでもより堂々と席に座われる自分がいた。
素顔で出社したい自分の願望と、同僚に女性として美しく見られたい気持ちが葛藤していたのだろう。
つまり「自分がありたい顔」と「社会が女性に求めている顔」が一致していなかった。
コロナ禍ですっぴん出社に、メイクに対する本当の気持ち
このように私はメイクで葛藤していた時期があった。
接客のない事務仕事であっても「顔がない」状態で出社できず、違和感を持ちつつも気がつけば4年間、自分らしくない顔で通勤していた。
ばっちりメイクで覆った自分の顔は私にとっては自分らしくはなかった。童顔な私はありのままの自然なリップの色やアイシャドウのないままの素朴感が似合っているように思い続けていた。
コロナ禍でマスクで仕事をするようになったことをきっかけに、メイクをせずに出社するようになった。
私は自分のすっぴんが好き。
自然体で仕事ができる。
こうしてすっぴん出社を重ねていくうちに、今までは自分のためではなく他人のためにメイクをしていたことに気がついた。
男性社会で生き残るメイクから、自分らしいメイクの選択へ
なぜ他人である男性上司のためにメイクをしていたのだろうか。
今、私は自分のありたい顔で出社をしている。
社会が作り上げた女性像に自身の価値観を踊らされたくない。
いつの間にか、わきまえない女になっていた。
メイクをする選択も決して間違ってはいないと思う。
女性がメイクをするかを選択できる社会であってほしい。
自身が自分らしくいられる選択ができる社会であってほしい。
自分の価値観を大切にし、これからも「わきまえない女」でありたい。