SNSを開けば、毎月1回以上は婚姻届や結婚指輪、綺麗なドレス姿で笑う花嫁の笑顔が流れてくる。もはやそれは”幸せ”を濃縮したスライドショーだ。でも特に何も思わない。というか、自分は比較的早めに結婚したことで、気になるような立場に置かれてこなかったというのが正しい言い方かもしれない。一方で、30歳のカウントダウンまで3年を切った今日この頃、幼馴染メンバーで集まるとある友人は「やっぱり結婚あせるよ~」とハイボールを傾けながら呟く。

見るのがしんどいときも。まだ妊娠できない事実が重くのしかかる

やっぱりそうなのかぁ。他人事のように思っていたけど、この頃彼女と似たような気持ちを味わうことが増えてきた。それは、SNSでの妊娠報告や出産報告、さらにそこから毎日続く赤ちゃんの成長記録。かわいい、と思う反面、目を逸らしたくなる自分がいるのを認めたのは、最近のこと。

子供が嫌いなわけではない、むしろ好き。弟も妹もいるし、昔から小さい子供の面倒を見るのは好きで、知り合いの小さな子の相手をするのも苦ではなかった。だからこそ、自分たちが結婚3年目を迎えるのにまだ妊娠できない事実がずしっと重くのしかかるのだ。最初はかわいいな、幸せそうでいいな、という気持ちだった。でも今は見るのがしんどいときもあって、キャプションもよく読まずにとりあえずお付き合いいいね!をしておく。

最初はタイミングが悪いだけかな?と思っていた。
仕事で忙しくて、帰ってくるとベッドに倒れ込む夫に、ゆっくり寝かせてあげたい気持ちと自分にしかわからないタイミングを逃してイライラする気持ちがせめぎ合う。
何度かそんなことがあったりなかったり。気づけば3年目で、同じ年に結婚をした友人だけでなく、自分たちより後に結婚した夫婦も子どもの写真をあげるようになってきた。

パートナーの忙しさや、タイミングのことばかり考えていたけれど

自分の体調にも思うところがあって、ついに産婦人科へ。最初の何回かは特に異常はなさそうだけれど…との所見だったが、念のために、の血液検査の結果が判明して先生の表情が変わる。
「うーん、LHが高いですね。急ぐなら専門の不妊クリニック、紹介しましょうか?」
えっ それって私に異常があるってこと…?
生理不順ですね、くらいの平凡な回答を予想ーいや期待していたから、自分に不合格を出された気分だ。もちろん先生はそんな言い方はしなかったけれど、詳しい説明をするより「次回もう1回検査させてください」とのことで、問題は持ち越しになった。
今までパートナーの忙しさやタイミングのことばかり考えていたけれど、子どもができないのは本当は自分の方に原因があったんだ。

最近、世の中でも「不妊治療」の認知度は上がってきたと思う。ニュースやネット記事でも体験談を目にする機会は増えた。でもそれって、正直、バリバリ仕事をして30半ばで結婚、40前後になって子どもを持つことを考える夫婦の話だと思っていた。

10歳は若いはずなのに。何がダメだったのかな。胸が締め付けられた

私まだ、10歳は若いはずなのに。次の検査でもっと致命的なことがわかったらどうしよう。何がダメだったのかな。去年、結婚式と繁忙期、引っ越しが重なって体調崩したことも関係あるのかな?それとも20代前半のころ、無茶に仕事してストレス溜めたこと?結婚前から、いつか子どもが欲しいね、2人はいないとさみしいかな、なんてのほほんと話した時の彼の笑顔を思い出して、胸が締め付けられた。

ちょっと調べればおおよその不妊治療の費用だって出てくる。こんなにお金がかかるのか、でもそもそも原因不明の不妊だってかなり多いみたいだ。私の状態だと、排卵障害の可能性、体質改善が大事ってネットのコラムに書いてある…。文字通り情報に振り回されて脳が疲れるだけだった。20人に1人の割合で見られる疾患でーたいていそういった言葉から始まるWeb記事を読み漁った。解決策をはっきり提示してほしいのに、とだんだん苛立っていく。調べてよくある話なんだって安心したいわけじゃない。私は自分たちの子どもが欲しい。

私の体は、自然の摂理が機能してないんだ。初めて味わう悲しさ

クリニックに行くために午後休みをとっていたから早めに夕食の準備を始めた。鍋に湯を沸かす。鍋底についた小さな丸い気泡は、やがて大きくなって堪えきれず水面に浮いてくる。ぷくっぷくっ、ぶくぶく。私の体は、卵は育つのにちゃんと出てこれない。自然の摂理が機能してないんだ。初めて味わう悲しさだった。

今は、友達たちが幸せそうに自分たちの赤ちゃんと過ごす様子を見る勇気がなくて、SNSは閉じている。自分からすると暴力的に、強制的に目に入ってくる、“典型的な幸せ”の図。私はまだ共感できないから、辛くなってしまうから。しばらく距離を置くことにする。他人を妬んでしまう弱さと、自分へのケアを放置してきた怠惰さを、今はきちんと受け入れて向き合う時間にしたい。