親になって知った好きを肯定する難しさ。色メガネをかけていたのは私

好きなものを好きと堂々と伝えるって難しい。公言することによって、相手に引かれてしまわないかうじうじと考えてしまう自分がいる。
思い返せば、小さな頃から好きなものを他人に教えるのが苦手だった。勇気を持って伝えても、馬鹿にされて笑われたことが心に残っているから。
そんな私でも大人になり図太くなったのか、ようやく自分の好きなものを身につけたり公言出来るようになった。他人はそこまで自分のことを気にしてなどいないということに、三十路を過ぎてようやく気がついたのだ。
大人になり、子供を産んだ私はすっかり身も心も母親になってしまった。昔のように好きなものに全力投球は出来ないけれど、その中で厳選しグッズを買う、身につける。好きなものと上手く付き合っていけば、ママ友たちとの間でそれが私のキャラとなる。
子供たちからも〇〇好きなママで覚えてもらえるのである。自分の好きなものを守りつつ、他者とのコミュニケーションに利用する。それが私の好きなものとの付き合い方。いちばん平和で誰も傷つかない。
だが、それでいいのか? と思う時もある。好きなものに対して本気で向き合えていないのではないかと。もっと周りを気にせず、自分勝手に振る舞ってもいいんじゃないかと。とはいえ、自分の性格も相まってなかなか難しいのだ。だからこそ、他人の“好き”に対しては口出ししない。否定しない。特に生まれてきた子供たちが“好き”なものは絶対に大切にしてあげようと心に決めたのだった。
娘は、幼い頃の私とは全く違うものを好きになった。幼い頃の私はポケモン!カービィ! だったのだが、娘はプリキュアにプリンセス、サンリオ…まさに女の子の好きな代表格が好きなようだった。幼稚園で覚えてきて、「私もラプンツェルとエルサになりたあい」とお話ししてくれるのだ。自分とは違う人間だと実感すると共に、彼女の“好き”を応援しなくては。ドレスを買い、一緒に映画やショーを見てキャラを覚える。イベントがあれば週末は出かけたりと娘の好きなものに触れる毎日。
そのおかげもあってか、娘は自分の好きなものに対して何の負い目も感じていない。好きなキャラクターグッズを身にまとい、周りに自分の好きなものを熱心に話しているようだった。毎日嬉しそうに好きなものについて話す娘の姿を見ていると、微笑ましくもあり羨ましくもある。どうかこのまま“好き”に対して誠実に育ってほしい。そう願わずにはいられない。
そんな娘ももうすぐ小学校に上がる。今は入学に向けて準備を進めているところだ。ある日、小学校で着るための服と文房具を買いに行くことにした。そこで娘と意見が割れた。
プリンセスが好きなあまり、ドレスのような服を選びがちな娘。学校に行くので活動しやすい服を選んでほしい私。プリキュアが好きなので、プリキュアがプリントされた服や文房具を選ぶ娘。思わず「それは…」と待ったをかけてしまう。「小学生になるし、お姉さんっぽい物の方が可愛くない?」
結局、娘はプリンセスのような服をやめ、プリキュアではない文房具を選んだ。それなりに気に入っているようで、「はやく小学校で使いたい」と楽しみにしている。
しかし、私はやってしまった気持ちが大きかった。娘の“好き”な気持ちを否定してしまったのではないか? もっと上手く言えなかったか?小学生だからプリンセスやプリキュアは恥ずかしいと思い込んでいるのは私ではないか?子供たちは案外気にしていないのでは?
誰よりも色メガネをかけて“好き”な気持ちを馬鹿にしているのは私だ。
考え出すとキリがない。今回は私と同じ経験をして欲しくないあまり、ブレーキをかけ過ぎてしまった。もう少し娘を信じてみても良かったかもしれない。ダメだった時に考えてみても良かったのかもしれない。
本当に子育ては難しい。正解もなく、塩梅がわからない。「こんなことで悩むの?」の連続で、私はずっとうじうじと悩んでいる。周りからは、過保護だとか神経質だとか思われることだろう。もっと、どーんと構えたいものだ。
娘よ、これからも自分の“好き”を信じて突き進んで欲しい。迷ったら一緒に悩むから。どうか彼女の新生活に幸多からんことを。
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