「休んでいる方の休職」。退職後の自分を想像しやり過ごすインターバル

個人情報を記入していて職業欄に差し掛かると、いつも筆が止まる。私は休職中だからだ。
職業を聞いているのであって、休職しているという状態を聞いているわけではない。だから該当の職を書くのが適切なのだろう。しかし、働いていないのに、と罪悪感と抵抗感が働く。
選択形式だと、まれに職業欄に休職中という項目がある。しかしそこには、かっこ書きで、産休、育休と書いてある。それ以外にも、親族の介護で休んでいるのであればここにチェックを入れても良いのだろう。私の休職はそのどれでもない。自分の心身の不調のために休んでいる。誰かのための休みは世間に肯定されているが、それ以外の自分のための休職は認められていない気がしてしまう。
働けていないので、気持ち的には無職だが、在職はしているので、無職は選べない。働いていないけどと後ろめたさを感じつつ、該当の職にチェックを入れるか、その他を選んで休職中と記入するかでやりすごしている。
最近、職業欄の選択肢の無職の項目にバリエーションが増えた。かっこ書きで定年退職と書かれた無職の項目を見かけるようになった。確かに、現役世代だけど何かしらの事情で働いていない無職と、勤め上げて定年退職した後の無職では、ずいぶんと状況が異なる。個人情報をどう利用するかにもよるのだろうが、この2つの無職を一緒に考えるのは無理があると思う。該当者から一緒にするなと声が上がったから選択肢が増えたのかもしれないが、一緒にするなという気持ちも分かる。
対面で職業を聞かれる時はとても緊張する。いつも「休んでいる方の休職」と答える。同音異義語で求職があるからだ。緊張とは裏腹に反応は大したことない。しかしセンシティブだから触れないようにという反応ではない。そういう人、意外と少なくないんだろうなとこちらが感じてしまうような反応だ。なかなか言えないだけで、休職経験のある人は多いと思う。休職中と言うと、実は私もと言われることもある。
休職中と言った時、インターバルだなと言われたことがある。ありきたりな表現かもしれないが、そう言われたのは初めてだった。インターバルと称されると途端と前向きでポジティブな感じがした。言い方って大事だなと言葉の力を痛感した。
休職には期限があり、ずっと休職という状態はありえない。復職するなり、退職して無職になるなり、転職するなりと、休職は通過点でしかない。そう考えると休職って前向きなもののような気がする。こう考えられるようになったら回復のサインかもしれない。
私の休職はもうそろそろ終わる。壊れた心身はそう簡単に回復せず、決して元には戻らず、もうフルタイムでバリバリ働くのは難しいと思っている。だから復職も出来ず、かといって転職も出来ず、ただ退職するだけだ。
大切なのはどの道を選ぶかではなく、選んだ道をどう生きるか。これは私の座右の銘だ。イギリスの有名な女優さんが言ったと言われているが、実際は出所が不明らしい。
たしかに自分で選べることなんてたかがしれている。私は今の職場からしか内定が出なかったのでそこに就職したし、自分の意思に反して体が動かなくなり休職した。そしてもうそろそろ退職する。これらの選択は、それしか選べなかったというより、そうせざるを得なかったものばかりだ。そんな状況に陥っていることは、私の努力不足に見えるかもしれない。私としては都度、努力しているが、結果に結びつかなかった。でも、その都度、努力しているからか、結果が出なくても割と切り替えられる。先の座右の銘の影響もあるのだろう。
意外と退職したら元気になるかもよと言われることもある。開放感からか、ある種のハイテンションになるそうだ。退職後に自分がどうなるかも楽しみにしつつ、残り少ない休職期間をやりすごすのみだ。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。