見捨てられた青春時代、受験期の苦しみが私の恋愛を阻害する

結婚おめでとう。好きと言ってくれてありがとう。
できれば、私も好きだよって言いたかったよ。
私は恋愛が下手だ。いや、下手というレベルにも到達していないかもしれない。人から、男性からの愛され方がよく分からない。
「ご飯に行こう」「一緒に出かけよう」「可愛い」「好きだよ」。そう言われても、尻込みしていつも上手く応えられない。
相手の中で理想化された自分の姿が、崩れていくのが怖い。自分が作り上げた虚像が、いつか暴かれるのではないかと恐ろしい。私に呆れた相手の興味が、他の女の子に移っていくのが怖い。その恐怖心は、「見捨てられること」を経験したからこそ起こるのだと思っている。
部活に熱中し、勉強をサボった高校時代。教育熱心で、私の体たらくに激怒した両親は、私を厳しく叱った。人格を否定し、食卓には私の分の料理だけが並ばず、私がお風呂に入っている間、私の悪口を言っているのがよく聞こえた青春時代。
つらい毎日に泣きながらも、恩師と出会い、「絶対に生きる、負けない」と奮起し、1日中勉強した受験期。
晴れて大学に合格し、海外へ語学を学びに行き、その後旧帝国大学へ編入し……と、次々と成功を重ねた大学時代。
就職に成功し、貯金も同年代を頭抜け、副業の文筆でもさらに成功を重ねている今。
家族は、私を「誇りに思う」とよく言ってくれるようになった。私も、昔のことを今更どうこう言うつもりはない。家族は、私の頑張る姿を見て、気持ちを入れ替えてくれた。過去のことを謝罪してくれて、いつも私のために頑張ってくれる。もう恨んでないし、憎んでない。大切にしたい、大切な家族だと心底思っている。
でも、私の奥底では、見捨てられた青春時代、受験期の苦しみがリフレインしている。愛する人から否定され、眼中に入れてもらえなくなることの恐怖と絶望。この経験が、私の恋愛を阻害する。
見捨てられることに怯え、だったら最初から何も期待しないほうがいい、そう思って、せっかく好きだった人から誘ってもらえても、断ってしまう癖がついた。本当は好きなのに、でも今より好きになったら、苦しい思いをするかもしれない。それは、いやだ。
そうして断るうち、相手は新しく恋を始め、やがて結婚に至る。何度、この流れを経験しただろう。
後悔先に立たず。結婚報告を見るたび、おめでとうという気持ちと、もしかしたら、隣にいたのは私だったのかもしれない、という寂しさで悲しくなる。
でも、こんな暗い女はいやだよね、隣にいたのは私かもしれなかったなんて、すごく傲慢だ、とすぐに思い直す。
こんな私にも、いつか誰かの愛を受け止めて、素直に応えられる日が来るのだろうか。
私の夜明けは、いつになるんだろう。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。