思えば、私が雨を好きになったのは、雨を愛していたあの人のことが大好きだったからなのかもしれない。大雨の中、ずぶ濡れになりながら帰ることを好む、風変わりな人だった。彼とは、中学生のときに一年ほど交際をした後、お別れをした。私の、初恋のひとだった。

◎          ◎

最近、雨が降るたび、あの人の靄のかかった笑顔が脳裏に浮かぶ。もう長い間忘れていたはずなのに、傘を叩く優しい雨音が、

「雨、すきやねんな」

と嬉しそうに言っていたあの横顔を、にじむように思い出させる。なぜ、最近になってこんなにも頻繁に思い出してしまうのか、理由はわからない。ふとした瞬間に遠い記憶が浮かんでは消える。

ただひとつ、今ならわかることがある。あの頃の私は、彼の言っていた「雨の良さ」を本当の意味では理解していなかった。しとしとと降る雨の静けさも、雨に溶け込んだ埃の匂いも、いつもより穏やかに感じる時間の流れも、彼が愛していた、その全ても。彼の見ていた景色は、きっと、ただの雨の日の景色ではなかった。彼にとって、雨は静けさの象徴であり、少しだけゆっくりと流れる時間の中で、心が落ち着く瞬間だったのかもしれない。そのときは、ただその言葉に頷くことしかできなかった。でも、今になって、その言葉の奥にあった感情が少しずつわかるようになった気がする。

◎          ◎

実際、中学生だった彼が、雨の良さをそんな深い意味で語ったのかまではわからない。ただなんとなく、心が落ち着くからとか、好きな雰囲気だからとか、そんな理由だったのかもしれない。それでも、今になって思う。彼の好きだったものを私も少しずつ好きになれている気がするのは、きっとあの頃とは違う視点で世界を見られるようになったからなのだろう。

そして同時に、それはきっと大人になった証拠でもあるのだと思う。あの頃、ただ純粋に、ひたすら無邪気に過ごしていた時間の中で、私は何もわからなかった。彼と同じ時間を過ごすことが一番大切で、それ以上のことなどなにひとつ考えず、ただその時間を楽しんでいた。それが今になって、少しずつわかってきたのは、きっと時間が経ったからこそなのだろう。そして、少しずつ変わっていった自分を、今は感じることができるようになった。

◎          ◎

私はあの頃から何も変わっていないと思っていた。でも、気が付けば少しずつ変わってきた自分がいる。それは、彼と過ごした時間や、今改めて思い出すことで感じられる大切な感情が、少しずつ自分を成長させていった証なのかもしれない。もしかすると、長い年月を経てようやく、私は彼の見ていた景色を自分のものとして感じられるようになったのかもしれない。きっと、もう会うことはないし、何かを伝えたいわけでもない。ただ、雨が降るたびに思い出して、少しだけ優しい気持ちになる。それだけで十分だと思う。

時間は流れ、私は少しずつ変わっていく。それでも、初恋の記憶は、きっとこれからもそっと心の奥に残り続ける。そしていつかまた、忘れられない恋に出会うのだろう。