昔から、他人の考えを無意識に感じ取ってしまう。昨今ではHSPだとか言われるらしい気質に苦しめられてきた。
自分の感性など、いずれ誰かの考えに塗りつぶされ、なくなるまでの間の繋ぎの感情。
にこにこと適当に笑顔を浮かべながら誰かの価値観に迎合することが、大人になることなんだと思っていた。
素顔の私なんて、意味がないと思っていた。

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大人になって、学校の代わりに職場に毎日通うようになると、他人の考えは以前より、私に対して牙を剝くようになってきた。
いや、「他人の考え」それ自体は、ただそこに在るだけにすぎないのだけれど。それを感じ取る私の神経の疲労度は上がっていった。

職務を遂行するというのは、本来であれば『自分の考え』を先方に伝え、納得してもらい、具体的なアクションを引き出すことに他ならない。私のような人間にとっては、その前に上司の考えのトレースとか、同僚の考えと違う箇所のすりあわせとか、先方が納得できない箇所を察知してその返答を用意しておくとか、多少手順は増えるが。
簡単にいうと、仕事を始めたことで、無意識に感じ取ってしまう「他人の考え」の数が多く、そしてより強固になってしまったのだ。

職場に出勤すると、まわりの人の考えを無意識に感じ取ってしまう。
それは私の、元々あまり強くない神経を疲弊させるには充分な強度と、そして量だった。
職務だけに集中できたらどんなに楽か。でも他人の考えを読み取ることも仕事のうちだし……。

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そんな中でやってきたコロナ禍。
リモートワークが快適だった。
誰とも顔を合わせなければ、無意識に他人の考えを感じ取るなんてできない。チャットの文字情報だけでしかわからない相手の感情は、毎日出勤していた時とのそれとは、幾分やわらかく、やさしく感じられた。
誰の影響も受けずに、ただ仕事にだけ集中できるとは、こんなにも楽なことなのか……。

しかし、コロナの脅威が初期ほど問題視されなくなって、リモートワークもなくなってきた。
私は相変わらず感染が怖い。この気質のせいで、自分が職場にウイルスを持ち込んだあとのことを考えてしまう。周りの人や、その同居家族が苦しむ可能性、業務を10日も止めてしまうかもしれないこと。気にしすぎていることは重々承知なのだが、それでも気にしてしまうのだ。
そして、リモートワークを経てから毎日出社すると、他人の考えが以前より入ってきてしまう気もする。以前よりも辛いと感じることが増えてきた。

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にこにこと適当に笑顔を浮かべながら誰かの価値観に迎合することが、大人になることなんだと思っていた。そんな私からは、想像もつかない選択をした。
自分らしく仕事を続けるには、リモートワークは必須だ。このままでは疲弊して、自分が擦り切れてしまう。
自分を守るための選択。私は、仕事を辞めた。

コロナ禍は私たちに案外、大切なものを教えてくれた気がする。
いつの間にかなくなった、建前だらけの飲み会。普及したリモートワーク。私のようなHSP気質の人間に、他人から距離をとる口実を与えてくれた。
毎日飲み歩くタイプの人々は、それを中断され、家族との時間を大事にせざるを得なくなった。

マスクによって醜形恐怖症が緩和された人もいるかもしれない。
きっと希薄なコミュニケーションを断ち切ったことで、研ぎ澄まされたのは『人生の本質』だと思う。素顔の自分は何を大切にし、どんな価値観で動く人間なのか。それを考えさせられた3年間だった。

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大事なのは何を失ったか数えるのではなく、得られたものに意識を向けること。使い古された言葉だけれど、コロナ禍も3年を過ぎた今にふさわしい。
素顔の私は、自分の生きやすい場所で働くことを決めた。素顔を隠して生きていた頃よりも、少しすがすがしい選択だった。