スマホ切って雨音を聴く、森林香る梅雨の朝

私たちの記憶や生活の隣にはいつも季節がいる。春は生物が活き活きと動き出し晴れやかな気分になる。夏のじりじりとした、うなだれてしまうほどのエネルギーと熱気。秋の静かで物憂げな、一年の終わりに向かう切なさは哀愁そのものだ。冬に感じる人のぬくもりやきらびやかな街並み、それとは対照的な孤独。
季節にはそれぞれの表情があって、各々のやり方で、私達の感情を溢れさせては包み込み寄り添ってくれている。
梅雨はどうだろうか。雨が降りしきり、じめじめしていて薄雲った雰囲気がある。数年前まで私は梅雨が苦手だった。なぜなら、せっかく早起きしてヘアアイロンで伸ばしたくせっ毛も駅に着くころには湿気で元通りだし、濡れた靴下なんか私の不快度でいうとトップ10には入る。梅雨の通勤電車は人々の小さな不快感が積もり、いつもよりどんよりと感じてしまう。浴室乾燥機のない我が家では雨の日は部屋干しをする。部屋干しされた洗濯物たちは不満気な表情を浮かべるし、そんな時に太陽のありがたみを強く感じる。どうにかこうにかこの季節を平穏に過ごせないものか。せっかくなら楽しく乗り切りたい。
梅雨との付き合い方を考えはじめたのは、大人になってからのここ数年だ。自分で言うのもなんだけれど、私は頑張り屋で仕事や勉強をHPが0になるまでやりこんでしまう。取り組んでいる最中は気にならないが、仕事を終えた瞬間身体が悲鳴をあげていることも多い。勉強のしすぎで熱を出したこともある。良く言えば集中力があり勤勉なのだが、休むのが下手でHPがなくなってから復活するのはとても大変なのだ。
一方、梅雨はローテンションで気だるげである。体育会系のようなハツラツとした明るさや気合は感じられない。梅雨は私に向かって「もうちょい気楽にいこうや」と助言をくれる存在なのかもしれない。だから梅雨を見習いこの時期の休日は、家で自分を甘やかすことに専念しようと決めたのだった。普段の休日はどう過ごしているだろう。早起きは得意なので仕事の日と起床時間は変わらない。ただ布団の中でYouTubeを開いて動画を垂れ流し、昼になっているのがお決まりのパターンだ。これはこれで自分を甘やかしているのだけど、スマホを見すぎるとどうしても脳が休まらない。なので目覚ましのアラームがなったら、まずスマホの電源をオフにする。そして朝からお風呂を沸かし、贅沢に”森林の香り”と書かれた入浴剤を入れ湯船につかる。いつもならスマホで音楽をかけながらのバスタイムだが(シャワーで済ませる日が大半)、今日は雨がしとしと降る音に耳を傾ける。これが最高のBGMになる。さらに入浴剤の優しい香りにバスルーム全体が包まれ、目を閉じる。自然と一体になった気持ちになる。ゆっくりと流れる時間は、普段前のめりになり生き急いでいる私をなだめてくれる。仕事や人間関係の悩みも将来の不安も、他人と比較して生まれる焦りも梅雨が連れてきた雨とともに洗い流されるようだ。
私は私のままで十分なのだと思った。至福の時間を味わい穏やかな気持ちでお風呂から上がる。時計を見ると時刻はまだ10時をすぎた頃。残りの休日をどう自分を甘やかすことに使おう。数週間前に買った積み上げられっぱなしの本を読もうか。録画リストに溜まっているアニメも見よう。梅雨と過ごす家でのゆったりとした時間が、私は大好きだ。さあ、朝ごはんを食べてコーヒーを淹れよう。こうして梅雨は毎年、私を見つめ直すひと時をもたらしてくれるのだった。
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