「これ、いい匂いですね」
私の視線の先には、ボトルホルダーのなかのWhite Muskの芳香剤。実はずっと気になっていた。
先輩とアルバイト先まで片道10分間のドライブ。あの雨の日以来、先輩はこうして、私と一緒にアルバイト先まで行ってくれる。
車内はとてもいい香りがした。品のいい穏やかな香りの芳香剤
先輩がどういうつもりで送ってくれているのか分からなかった。初めて車に乗ったとき、助手席に乗っていいのか分からなくて後部座席に乗り込んだ。
車内はとてもいい香りがした。一般的な車の芳香剤とは違う、もっと品の良い、穏やかな香り。
帰り道は先輩に言われるまま、助手席に座った。異性の車の助手席に乗るのは、実は初めてだった。
ふと、目に入ったのは、White Muskの芳香剤。女の子がよく行くお店のブランドのものだった。先輩には彼女がいるのかもしれない。でも私は、ずっと聞けずにいた。
「彼女いるんですか」と聞いてしまったら、このドライブが終わってしまうと思った。だから、私は代わりに芳香剤を褒めた。
先輩の横顔を見る。「それ、友達からプレゼントでもらってん」。運転席の先輩がゆっくりとブレーキを踏んだ。先輩は、ハンプの上を通るとき用心深すぎるくらいにスピードを落とす。そういうところが好きだった。
「そうなんですね!」
自分の声があからさまに明るくなったのが分かる。
「私は先輩のことが好きなんですけど」。白黒はっきりさせたかった
私たちはそれから何度か一緒に外出した。先輩の優しい運転と、心地よい相槌と、穏やかな声の他愛もないおしゃべりの時間が本当に好きだった。幸せな私は助手席でいつも、ほどよく甘いWhite Muskの香りに包まれていた。
でも、私の心とは裏腹に、回数を重ねるたびに先輩の心は離れているような気がした。季節は梅雨から夏を通り過ぎて秋に変わり、やがて冬になった。いつのまにか、芳香剤は別のものに変わっていた。
その日の帰り道、会話は少なめだった。それとは対照的に、いつもはかかっていない音楽が流れていた。私は白黒はっきり決めたかった。だから、いつもと違う香りに包まれながら、私は切り出した。
「私は、先輩のこと好きなんですけど、先輩は、私のことどう思ってはるんですか?」
アパートの前で車を止めて、10秒の沈黙の間、慣れない香りが私の鼻腔に強く香った。
「ちょっと……違うかなって、思ってた」
White Muskは私にとって幸せの香り。でも苦手なままでいる
あのときは、車がすれ違ったほんの一瞬だけで先輩だと気づいたのに、もうその香りはそこになかった。車から降りた私に、年末の冷気がまとわりついてきた。
あの頃に戻りたい。あの香りが懐かしい。White Muskの香りに包まれていたのは、もう一年以上も前のことなのに、その香りをかぐと、いまだに私は先輩を思い出してしまう。
正確に言うと、幸せだったあの一瞬一瞬が鮮明に私の目の前に現れて、心の柔らかい部分をギュッと掴んでなかなか離してくれない。
White Muskの香りは、私にとって幸せの香りだった。でもまだ私はその香りを苦手なままでいる。街にありふれた香りなのに、あの時の、あの車の中の香りよりも瑞々しいWhite Muskに私は出会えていない。