学生時代を過ごした街に、ずっと憧れていたホテルがある。
派手さはないけれど、格式と上品さを兼ね備えたその場所。
大きなチャペルやきらびやかな装花があるわけではないけれど、見る人の感性をそっとくすぐるようなセンスがあった。
私は通るたびに思っていた。「いつかこんな素敵な場所で結婚式を挙げられたらな」と。

まだプロポーズもされていないある日、私は彼氏をそのホテルのブライダルフェアに誘った。
正直、ちょっとした策略もあった。結婚の話が全く出ていなかったわけではないけれど、具体的な動きはなく、私の中で少し焦りがあったからだ。
「将来の話をしたい」と切り出すのはちょっと重たく感じて、代わりに見学という形にすり替えた。
私が「見学するだけなら無料だし、記念になるよね」と言うと、彼は少し戸惑いながらも、「まあいいよ」とついてきてくれた。

◎          ◎

見学当日、チャペルに足を踏み入れた瞬間、私は思わず息をのんだ。
シンプルで、どこか温かみがあって、神聖。木の温もりと自然光がやさしく調和していて、背筋が自然と伸びるような空間だった。
中庭に出ると、噴水と丁寧に手入れされた緑が出迎えてくれた。

音も匂いも温度も、全てが心地よくて、ここで大切な人と人生を誓えたらどれだけ素敵だろうと、自然に想像がふくらんだ。
誰かに見せたい、誰かをここに呼びたい、そう思わせる力があった。
私は「やっぱりここが好きだ」と心の中で呟いた。

何度も写真で見た風景。でも、実物はやっぱり違った。この場所で写真を撮りたい、この空間をゲストに見てほしい、そう思わずにいられなかった。

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見学が終わり、控室でプランナーさんと簡単な打ち合わせをしていたときのこと。
次のフェアの案内や、仮予約の宣伝の話が出たその瞬間。
彼が、さらりと言った。
「ここで結婚式、挙げます」

私は思わずプランナーさんの顔と彼の顔を交互に見た。
……今、何て言った?
まだプロポーズされてないんですけど!?
頭の中はパニックだった。
でも彼の表情は真剣で、迷いもなかった。
プランナーさんは笑顔で予約の手続きを進めていく。
私はその流れに乗りながらも、どこか夢を見ているようだった。

こうして、「なんとなく見学に来ただけ」のつもりだった日が、私たちの特別な日に変わった。
あの日からすべてがとんとん拍子に決まり、数か月後には夫婦になっていた。
親への挨拶、指輪選び、入籍日..….順番なんて気にせず、すべてが勢いのまま進んだ。
けれども、私自身も驚くほど自然にその流れを受け入れていた。

一目惚れしてしまったのは、私だけじゃなかったのかもしれない。
彼もまた、あのホテルの空気に、あのチャペルに、何かを感じたのだと思う。
それが「人生の決断」を後押しする力になるなんて、思ってもいなかった。

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結局、式を挙げる予定だった時期には想定外の「コロナ禍」があり、当初想定していた披露宴は執り行わず、親族だけの家族式を挙げた。
かつての憧れが100%叶ったわけではなかったが、一生忘れられない大切な思い出ができた。
大勢のゲストを呼ぶことは叶わなかったけれど、近しい人たちと静かに過ごす時間は、思っていた以上に温かかった。
「この形でよかった」と思えたのは、場所の力も大きかったと思う。

今でもそのホテルの前を通るたび、胸が少しだけ高鳴る。
一目惚れから始まったあの場所で。