あの子がいたから、私は今でもこの仕事に誇りをもって働いている。だけどあの子を思い出す度に、私の携帯でも写真を撮ってもらえばよかったと、今でもそれだけはすごく後悔してる。

社会人2年目の夏。リゾートホテルのロビーには、非日常に足を踏み入れて、期待で目を輝かせているゲストで溢れかえっていた。その合間を縫うように速足で歩き回るのは、忙殺されて余裕がない鬼の形相を隠し、必死に接客スマイルを振り撒く自分であった。

8月のある日。私の心は荒みに荒み切っていた。怒涛のように押し寄せるゲストを部屋まで案内し、チェックインで長時間待っていたゲストに怒鳴られ、食事の予約が取れないことに立腹するゲストをなだめ、ようやく自分の仕事に手を付けられたのが深夜1時過ぎ。
同じく横で残業している先輩とブチブチ言っていると、またも客室からの電話。戻ってきたら、支配人がエナジードリンクを買ってきてくれていた。
翼生やしてもっと働けってか。
そう、それは、そんな日の夕方での一コマのことだった。

同僚が慌てて私を呼びつけた先には、対応したゲストの少女と母親が

ご立腹ゲストの対応が終わり、ロビーに戻って来ると、大きな窓からは夕陽が差し込んでいた。人の行き来が少し落ち着いたロビーでふと視線を感じる。見れば10歳くらいの女の子がこちらをじっと見ていた。
「なにかお困りですか」と声をかけて気付く。この子、さっきお部屋まで案内したゲストのお子さんだ。彼女も私に気付いたのだろう。
あ、と口を開けて、もじもじしながら「ううん。…お母さん待ってるだけ」と答えてくれた。「そっか。今日は天気が良かったけど、遊園地に行ったかな?」「…うん。あのね、」そんな風にポツポツと穏やかに話をしていると、彼女の母親が戻って来た。会釈する母親にお辞儀をしながら、「また明日ね」と女の子に手を振って、私は通常業務に戻った。

その次の日のこと。出勤すると、後輩ちゃんが慌てた様子で私を呼んだ。
「お客様がずっと待っていますよ!」の言葉に、よぎるのはクレームの可能性。
まじかあ。出勤早々にかあ。
苦い顔をする私の腕を引き、説明ゼロで連れていかれた先には、昨日の親子がいた。目が合うなり、母親が私の苗字を呼び、女の子と一緒に駆けてきてくれた。「出勤時間を聞いて、少し出発を遅らせたんです」と言われ、動揺する私の袖を女の子が引っ張った。
「一緒に写真撮ってくださいっ」

正直に言おう。その時、私はその親子に心底申し訳ないと思ったのだ。
あの時彼女に声をかけたのは、業務の一環であり、なんならお給料が出ているものである。だって私の仕事は接客なんだから。困っているゲストには声を掛けなきゃ、ホテルの評判が落ちかねないし。部屋までの案内だって、すぐに済ませなければ、と、せかせかしていた私にまともな接客が出来ていたか分からない。
そんなことを本気で思っていた私と、写真を撮るためだけに、彼女たちは出発時間を遅らせて待っていてくれたのか。私にそんな資格、ないよ。でも、恥ずかしそうに私の隣でピースする彼女と写真を撮った時、思ったのだ。
これから、彼女たちはここに来る度に、家でアルバムを見る度に、もしかしたら旅行する度に、私を思い出すのかもしれない。この家族の記憶と記録に自分が残るのだと思うと、なんて光栄な話だろう。目の前で人と人の縁が繋がる瞬間に立ち会えたことへの感動と、それこそが自分が従事している“接客業”であるのだと初めて理解したのと、自分の浅はかな考えに対する羞恥とでうっかりその場で泣いてしまいそうだった。

あなたの記憶の中の私に恥じないよう、誇りを持って従事していこう

あれから転職をして、勤め先は変わったけれど、私の接客業歴は5年になる。今でも、理不尽なお客様にはムカッとするし、心折れて辞めたくなる時もある。
それでも、お客様との交流の中で、温かい気持ちになると私は今でもあの子を思い出す。
顔も名前も思い出せないけれど、あの子はずっと、私の働く原点だ。だから、今は、あの過ちを繰り返さないように、私が担当したお客様には、チェックアウトの時に「よろしければ、一緒に写真を撮らせていただけませんか」と笑顔で声をかけている。もうきっと再会はないけれど、あなたの記憶の中の私に恥じないよう、私はこれからも接客業に誇りをもって働くことを約束するよ。