美容室の予約を取ったあの時、苦しかった私の心に光が差し込んだ

数年前、心の調子を崩して休職し、その1年半後、会社を辞めた。
しんどいこと辛いこと苦しいこと、しがらみから自由になったはずなのに、何に対しても心が動かなくて、ただ淡々と毎日を消化していた。
ある日、お布団の中、天井を見上げてなにもできないでいる時に、ふと、髪型を変えたくなって、某予約アプリから、家の近くでいちばん雰囲気が良さそうな美容室の予約を取った。
翌日、わたしは黒髪からミルクティーのようなカラーになり、長さもロングヘアから短めのボブヘアに変えた。
まるで別人級の大胆なイメチェンだった。
ずっとずっと髪の毛を伸ばしていた。
小学生の頃に、髪の毛を短く切ってから、わたしはずっとショートヘアだった。だから憧れがあったのだ。さらさらツヤツヤの、風になびくロングヘアに。CMで流れているみたいなロングヘアに。
だけど切ってしまった。美容師さんに、似合う短さにしてくださいとお任せしたら、すすめられたのは顎下3センチ。その通りにした。
ただスッキリしたかっただけじゃない。辞めた会社のすぐ近くに住んでいるからこそ、ぱっと見られてわたしだと気付かれたくなかった。心のなかに巣食っているネガティブが、髪の毛まで侵食してわたしにまとわりついてくるような感覚もあった。新しい自分に生まれ変わりたかった。
ザクザクザクと伸ばしていた髪の毛が切られていく時は寂しかった。楽しいも苦しいも共に過ごした髪の毛だから、やっぱり愛着はある。だけどワクワクもしていた。短かった頃を思い出して、懐かしさを感じる長さになった髪の毛に今度はブリーチ剤が塗られていく。頭皮に感じるピリピリ感。痛かったけど、これでかわいくなれるなら、生まれ変われるなら、と我慢した。
帰り道、どこか心ここに在らずな自分がいた。明るい髪色で外に出るなんて初めてで、可愛く仕上げてもらったのだから自信を持っていいはずなのに、美容室で鏡を見た時はかわいいかも、と思ったのに、スマホのカメラで見るたびに、これで正解だったのかと疑問に思っていた。
それも2日も経てば見慣れてしまい、なんだいい感じじゃん?と思えるようになった。メイクもいつもより少しだけラメを多めにのせたり、大好きな美容系YouTuberさんのメイクを真似してみたりもした。ギャルじゃん、と思ったけど新しい自分になれた気がして、仕事を辞めて塞ぎ込んでいた自分に新しい鎧を着せてもらったような気がして、それから少しずつ少しずつ外へと出られるようになっていった。
家族からは意外と好評だった。「明るくなっていいね」と。ずっと塞ぎ込んでいるわたしを見ていたからだろう。でも、かける言葉はそれしかなかったようにも思う。実際、いまは求職活動中なのもあり、髪色を暗めに戻して、長さも胸上まで伸ばしているが、「暗めの色の方が透明感あってかわいい」「やっぱり長い方が似合うよ」と言われる。どっちなんだろう。でも、どちらにも良さがあって、あの日あの時、髪色を明るくして、髪の長さも短くしたのは、わたしの心が回復するのには必要だったのだろうと思う。
最近また髪型を変えた。レイヤーをふんだんに入れて、やわらかなわたしの髪の毛はいつもよりふわふわに。お出かけする時はよりふわっと巻いて、くるくるな髪型になっている。いま目標にしているのは胸下まで伸ばしてみること。わたしの人生でいちばんの長さまで伸ばしたら、また顎下3センチまで切りたいと思っている。就職先次第ではパーマもあてたいし、髪の色も変えたい。そうだなあ、たとえばピンクとか。赤とか。心が躍るような色味に変えたい。
髪型も髪色も大きく変えるのは勇気がいる。だけど、その後に待っているのは、きっとしあわせな顔をしたわたしだ。髪型や髪色を変えてみるだけで、わたしは救われた気持ちでいる。心が回復するための光が差し込んだのは、きっと美容室の予約を取ったあの時だ。
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