「新入生が入場します。拍手でお迎えください」

アナウンスと同時に体育館の重い扉がガラガラと低い音を立てて開いた。その隙間から今まで聞いたことのない華やかな音が大きな波のように襲い掛かってきた。あの瞬間はまさしく一目惚れだった。

◎          ◎

中学1年生の春、入学式に参加していた私はあるものに目が釘付けになった。流れるような優しくて可愛らしい音から、内臓にズンっと響くかっこいい一撃まで網羅し、テキパキと動き回る先輩たち。受けた印象はあまりにも強烈だった。それは打楽器だ。皆さんもきっと音楽の授業で触れたことがあるだろう。叩いて音が出る楽器、ドラムのような太鼓系の楽器から木琴、鉄琴のような鍵盤楽器まで、すべてを一挙に担うのが私の愛してやまない打楽器だ。

中学校の醍醐味と言えば部活動で、右も左もわからない中学1年生の私も部活動なるものに強い憧れを持っていた。運動が得意ではないので、運動部の選択肢は即座に排除。となると、文化部の中から選ぶしかない。当時の私はピアノなどの音楽経験は皆無でドレミが五線譜のどこにあるのかすらわからなかった。「こんなやつが吹奏楽部入ってやっていけるわけないでしょ」と思いつつも、入学式で聞いたあの音やその後の部活見学で見た先輩たちの真剣な練習中の姿がどうしても忘れられなかった。

母に「私、吹部に入りたい」と打ち明けると「本当に大丈夫?できるの?」と聞かれたことは今でも覚えている。基本的に母は「好きなことしなさい」が口癖であまりこちらに干渉をしない。そんな母に珍しく心配をされたことが当時の私には衝撃的だった。だが、最終的には母も私が吹奏楽部に入ることを応援してくれた。

◎          ◎

吹奏楽部に入ることが第1ステージとするなら、希望する楽器に配属されるかが第2ステージだった。各パートの状況や希望人数などを鑑みて希望がすんなり通らないことも珍しくない。打楽器しか眼中になかった私は配属希望楽器を記入する用紙の先頭に「打楽器」と記入して、それ以降は何も思い浮かばず思いついた楽器を順番に書いていた。今思うと、あまりにも無鉄砲すぎる。何考えてんだ。あの頃の私をちょっと呼び出してお説教してやりたいくらいの気持ちになる。数日後に当時の吹奏楽部の先生から「〇〇、お前は打楽器な」と言い渡された時は飛び上がるくらい嬉しかった。

もちろんこれは単なる始まりで、それから大変なことは山ほどあったが、私にはそれらを乗り越える一つの原動力となった中学の吹奏楽部の先生からの言葉がある。「〇〇、あいつは化けるぞ」という言葉だ。その言葉を耳にした時、いつも厳しい先生が自分のことをそんな風に見てくれているのかと嬉しく思う反面、「私がそんな人間なわけあるか!」と斜に構えて見る気持ちの方が圧倒的に強かった。

だが、思い返すとあながちその言葉も間違っていなかったんじゃないかと思う。私の経験上、進学など人生のステージが変わるタイミングで楽器をやめてしまう人は多い。時間やお金など様々なものを楽器の練習に割かなくてはならないからだ。大学まで続けてこられたのはもちろん恵まれた環境や周囲の理解などもあるが、私の心の奥底に「打楽器が大好き」という気持ちがあったことが大きい。大好きだったからできる限り頑張りたかったし、上手になりたかったし、続けたかった。加えて、今も尊敬している先生があの時おっしゃった「あいつは化けるぞ」の一言に恥じない人間でいたいという気持ちもここまで続ける選択をしてこられた内なる原動力の一つだ。

◎          ◎

打楽器との出会いは間違いなく一目惚れだったように思う。当時の私の言動は思い返しても向こう見ずで恥ずかしいものばかりだが、吹奏楽部に入って打楽器を演奏するという選択をしてくれたことは感謝してもしきれない。あの瞬間に私の人生は180°変わったと言っても過言ではない。

今私は吹奏楽部で打楽器を担当して9年目になる。大学に通って、課題をこなして、実家を離れているため家事もしながらの状況に加えて、部活動に参加することは楽ではない。忙しさに目が回りそうになる。だが、私は自分の選択を後悔したことはない。部活動を続けてきたおかげで出会えた友人たち、得られた経験、何度も練習して身につけた技術はどれもかけがえのないもので、私が今まで歩いていた人生そのものだ。

現在、学生として臨むことができる最後の夏のコンクールシーズンの真っただ中だ。吹奏楽コンクールでは事前に定められたいくつかの曲の中から1曲選択する課題曲と団体ごとに選択する自由曲の計2曲をステージ上で演奏する。今までに演奏したどの曲を聴いても鳥肌が立って、その時の夏の気持ちが一瞬で鮮やかに蘇る。

9回目の夏、今年はどんな景色が見られるのか今から楽しみだ。