お茶会のときは髪をまとめなければならない。茶道の世界にはそうした暗黙ののルールが山ほどあって、そこから外れれば、白い目で見られる。それを恐れて私はいつもきちんと結んで参加していた。

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しかし、毎回のセットは地味に手間がかかり、時には面倒に感じることもあった。お茶会に行く日のセットはもちろんだが、それ以上に日常での手入れが面倒だった。長い髪を乾かすのが面倒でお風呂に入るのが億劫だったし、勉強のために前かがみになればポニーテールが前に垂れて邪魔だった。ロングヘアが嫌いなわけではないが、私には長すぎた。髪を下ろすことも少なく、髪型が自分の気分や体調を表すことはあまりなかった。

お茶会が終わると、少しホッとした気持ちになった。髪を自由にできる時間が、ちょっとした解放感をくれたのだ。そんな日常の中で、ある時ふと思った。これからはもっと自由に髪型を楽しんでみたい。まとめ髪というルールに縛られずに、自分の気分で髪を扱いたい。そう思ったのは、お茶会が一区切りついたタイミングだった。

そこで、思い切って髪をばっさり切ることにした。ずっと伸ばしていた長い髪を肩にかからないくらいのショートヘアに変えたのだ。美容室で髪が切られていくのを見ている間、少し惜しいような気もしたけれど、それ以上に、自分の中にたまっていた何かが溶けていくような感覚を覚えた。髪を切ることは、単に見た目の変化以上に、気持ちの切り替えでもあった。

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髪を切ったことで、ストレスも一緒に切り落としたような軽さを感じた。毎朝のヘアセットの負担が減り、髪型に気を使いすぎることがなくなった。これまでの「お茶会ではまとめ髪」という固定観念からも解放され、気分がとても軽くなった。

さらに、切った髪はヘアドネーションに出すことにした。ヘアドネーションとは、医療用ウィッグを必要とする子どもたちのために髪を寄付する活動である。自分の髪が誰かの役に立つと思うと、嬉しい気持ちになる。長く伸ばした髪が誰かの笑顔につながるという考えは、髪を手放す不安よりも大きかった。

ショートヘアに変えてからは、セットも簡単になり、時間に余裕ができた。髪を洗うのも乾かすのも楽になり、日常生活が少し楽になったこともありがたい。お茶の席で周りの目が気にならないことはなかったが、一番大きなお茶会まではきちんと切るのを我慢したのだという意識が私の背を伸ばさせた。

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髪は見た目の一部にすぎないが、自分の気持ちや日々の生活に大きな影響を与えるものだ。だからこそ、髪型を通して自分の気持ちを表現し、気分よく過ごせることが大切だと思う。

今回の髪型チェンジは、自分にとってそんな気づきをもたらしてくれた。
まとめ髪を卒業して、これからはもっと軽やかに、自由に髪と付き合っていきたい。髪を切ったあの日のような爽快感を忘れずに、新しい毎日を楽しんでいくつもりだ。