3歳の初夏、私は吹奏楽をやりたいと思った。
あまりにも早すぎる決心。
でも、それから16年経った今でもあの景色を忘れることができない。

憧れの人の背中を追いかけて飛び込んだ世界も、知らないことだらけで

ある高校の定期演奏会。
キラキラと輝く金と銀の楽器、同じ制服を着た人たちが指揮者の合図に合わせて、それぞれ別の音色を奏で始める。
その中でもずば抜けてうまい人が1人。
吹奏楽の花形・トランペットの1stであり、部長も務めたその人こそ私の一生の憧れの人。

その人の背中を追いかけて、私は吹奏楽の世界に飛び込んだ。
でもこの時の私は知らなかった。
憧れの中の見えない部分を。

吹奏楽部に入ったのは小学5年生の時。
楽器はトロンボーン。トランペットをやりたかったがあまりの志望者の数に断念。
なんとなく体験に立ち寄ったトロンボーンに運命を感じ、そのままの流れで入った。

そこからは紆余曲折あった。紆余曲折しかなかったといった方がいいくらいに。
先生がヒステリックに怒り、無駄なミーティングばかりにうんざりしていた中学1年生。
上下関係で悩み、胃が食べ物を受け付けなくなった中学2年生。
パートの同期と一つ下の後輩が不登校になり、一人で一年生を教えていた中学3年生。

憧れていた世界のギャップに私は辛くなり、やめてしまいたいと泣いた。
でもそのたびにどこからか3歳の私が話しかけてくる。
「辞めちゃうの?あの日抱いた憧れってそんなものだったの?」
違う。私もあの人と同じ景色が見たいんだ!
その気持ちだけが私の原動力だった。

あっという間に3年目を迎えた高校の日常はある日、音を立てて崩れた

そして何とか中学校3年間の部活を終えて必死の受験勉強の末、私は憧れの人と同じ高校に
入学した。
もちろん部活は吹奏楽部。
数週間前まで「もう吹奏楽部なんて入るか!!」とわめいていたのは内緒だ。

時が過ぎるのはあっという間。
やはり悩むこともあったが、中学時代に比べたら幾分も楽しい高校の部活は早くも3年目を迎えていた。

今年は課題曲何にしようね、自由曲難しくない?、なんて話していたのも束の間、私たちの日常はある日、音を立てて崩れた。
新型コロナウイルスの影響で学校は休校。
部活はおろか、学校生活さえまともにできなくなった。
やっと集まれたのは、梅雨真っ只中の6月。
これからの部活の在り方、方向性を話し合った。
そしてコンクールと定期演奏会がなくなったこともこの時知った。
私たちの青春はひっそりとなくなった。
先輩たちの分まで後輩たちと頑張ろうと誓った目標も、憧れの人と同じ景色を見ることも消えてなくなった。
同期たちは涙をのんで、後輩に悲しい顔を見せまいと踏ん張った。
何もなくなってしまった代わりに小さな、本当に小規模の演奏会をしようと約束して。

憧れの裏側が知りたくなかったことばかりでも、人生に刻まれていく

8月の暮れ。私たちは感染対策を完璧にし、生徒や先生、保護者だけの小さな演奏会を開いた。
私が見たかった景色とは場所も人の規模も全然違かった。
悔しかったけど、それでも演奏できることが何よりうれしくて、有難かった。

最後の一曲。どんどん終わりに近づいていく度、思い出が走馬灯のように頭を駆け巡る。

吹奏楽をやりたいと思った日、
初めて楽器を触った日、
初めて音が鳴った日、
初めてのコンクール、
家族にほめてもらったこと、
辞めたいと一人泣いた日、
先輩に理不尽に怒られたこと、スランプに入って何にもやる気がでなかったこと、
楽器を壊しちゃったこと、
パートをまとめられないと悩んだこと、

新入生勧誘に勤しんだ春も、汗をかきながら練習に邁進した夏も、
気が抜けて練習よりおしゃべりが多くなる秋も、
かじかんだ手と楽器を温めながら練習した冬も、
思い出すと同時に涙が出てきた。

最後のワンフレーズ、1小節、1音となった時、どこからともなく声が聞こえる気がした。
「夢をかなえてくれてありがとう。よく頑張ったね」

吹奏楽という華やかな世界の裏側は辛くて苦くて知りたくなかったことばかり。
でも、この世界でしか経験できないこと、出会えなかった仲間、そして知らなかった自分がいた。
何も知らなかった「あの日」も知りたくなかった「あのこと」も私の人生の1小節だ。