私の中高生時代、いわゆる青春時代の夏に、「楽しかった」と言える思い出は正直あまりない。
高校時代は補講や受験勉強に専念していたし、それを望んでいたから、まあ仕方ない。
中学時代は部活漬けだった。「部活こそ青春!」と言う人もいるかもしれないが、当時の私は、部員や顧問との人間関係、そして自分が成長しないことにずっと悩んでいた。

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中学校に入学した私は、吹奏楽部に入部せざるを得なかった。
当時は生徒全員の部活動への入部が義務付けられていた。私は運動が苦手だったため、文化部を希望していたが、文化部は吹奏楽部しかなかったのだ。
自然な流れで吹奏楽と出会ったのだ。

入部したばかりの1年生は、様々な楽器を試す。そして、希望する楽器を選び、顧問がその部員と楽器の相性を確認し、担当楽器が確定する。
私は当初、木管楽器ではサキソフォン、金管楽器ではトロンボーンを希望していた。
しかし、顧問の指示により、金管楽器の一つであるホルンを担当することになった。

私は戸惑った。ホルンを試してなかった、いや、試すことができなかったからだ。
当時の吹奏楽部にホルン担当はいなかった。顧問はホルンとの相性よりも、担当する部員にこだわりを持っていたことが理由だったようだ。私がそのこだわりに一致していたかどうか、正直何とも言えない。
こうして、一人でホルンと向き合う日々が始まった。

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2年生の夏、ホルン担当として初めてコンクールに参加することになった。
ホルンを始めて1年経っても、上達を感じなかった。苦手意識が強かったハイトーンだけでなく、初歩的な息づかいすらまともにできなかったのだ。
ホルン担当の後輩もおらず、一人でホルンを担うことになった。
せめて、部員の足手まといにならないように努めた。

地域予選は金賞。嬉しかったが、当時は地域予選の強豪校だったため、金賞は当たり前。
私たちの本番は県大会。結果は銀賞だった。
最後のコンクールだった3年生の先輩は皆、泣いていた。先輩を見て、やるせない気持ちになった。一人しかいないホルンが、皆の足を引っ張ったのではないか。もっとしっかりしなければ。

時は経ち、3年生になった。夏には最後のコンクールを迎える。この年もホルンの後輩はいなかった。また一人でホルンを背負うのだ。
もう後悔したくない、皆の足を引っ張りたくない。そう思った私は、練習量を増やした。

部活での練習だけでなく、朝練も当然だった。それに加え、練習が休みの日は、前日にホルンを借り、自宅に持ち帰って自主練習していた。
私の地元は山や田畑に囲まれた小さな集落だった。自宅での練習は家族や近所の迷惑になるし、室内に音がこもって響きが分からない。そのため、自宅から10分ほど歩いた空き地で練習した。積み上げられた大型のコンクリートブロックに登り、てっぺんでホルンを吹いていた。山に囲まれていたため、吹いた音が響き渡り、空に昇って溶けていった。自分が納得できるまで、吹き続けた。

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地域予選は金賞だった。しかし、目指すのは県大会での金賞だ。
地域予選後も練習に練習を重ねた。

県大会は金賞だった。皆は喜んでいたが、私は純粋に喜べなかった。
本番の大事な場面でミスをした。それを他の部員にも指摘されていた。
結局、最後の最後まで、私は下手くそだった。そして、ずっと一人だった。
悔しさを抱いたまま、吹奏楽部の夏が終わった。

今振り返っても、正直吹奏楽部のことが好きではなかったと思う。苦い思い出ばかりだった。
しかし、吹奏楽をはじめ、クラシックやミュージカルなど、好きな音楽の幅が広がった。
そして、何よりホルンが好きになった。
何気なく聴いている音楽でも、ホルンの旋律を感じると反応してしまう。その度に、心が弾む。音色が綺麗であることはもちろん、私にとって一番身近な音だったからだ。

緑色の山々や田畑に囲まれ、青空の下、金色に輝くホルンを吹いていたあの夏の私を想像する。
下手くそだったけど、頑張ったね。ありがとう。