親の反対を押し切って行ったフィリピンで、私の世界は広がった

初めて親の反対を押し切ってまで決めたことが、フィリピンへの短期留学だった。
同級生や先輩から聞く、笑って泣けるフィリピンでのエピソード。それらを聞くたび、私の中に小さな火が灯っていった。「私も、本気で行きたい」でも、その年はちょうどパリ同時多発テロが起きた時期。
「海外なんて危ない」「行く必要はあるの?」両親からは猛反対だった。
普段なら「まぁいいか」と諦める私が、このときばかりは引かなかった。
夕食のたびに、私は何度も想いを伝えた。
「危険な場所ではないこと」「学校のサポート体制が整っていること」
学校の先生にも協力をお願いして、安全性を説明してもらった。
説得にかかった時間は、約1年。
季節が一巡するほどのやり取りを経て、ようやく「そこまで言うなら行ってきなさい」と両親が折れたとき、胸の奥で何かが弾けた。
留学までの道のりには、数々の事前研修があった。
フィリピンの文化や歴史、現地での生活ルールを学ぶ座学に加えて、大阪・釜ヶ崎での炊き出し研修もあった。
初めて訪れたその場所で感じたのは、「みんな、それぞれに精一杯生きている」ということ。
それは、単なる知識ではなく、心にずしりと残る感覚だった。
そして迎えたフィリピン。
空港を出た瞬間に感じた湿った熱気と、どこか甘い匂い。
途切れないクラクションや、人々の笑い声。
日本の整った街並みとは違い、そこにはカオスと自由が入り混じる空気があった。
車の渋滞もすさまじく、交通ルールはあってないようなもの。毎日が小さなカーチェイスのようだった。
トイレの清潔さが有料だという事実にも驚いたし、ショッピングモールで見かけたUNIQLOや無印良品の看板に、なぜか嬉しさがこみ上げた。
けれど、何よりも大切な出会いはホストファミリーだ。
流暢な英語は話せなくても、アイドル雑誌を広げて「誰が好き?」と聞き合ったり、花より男子の話で盛り上がったり。そんな何気ないやり取りが、心をあたためた。
国や文化が違っても、人を知ればつながることができる。
それを体で感じた瞬間だった。
帰国の日、学校での別れ際、私たちは号泣しながら「Love you」と伝え合った。
「また会おうね」と抱きしめ合ったとき、胸が詰まった。
たった2週間なのに、私にとってはかけがえのない時間だった。
あの留学が教えてくれたこと。
言葉よりも大切なのは「心を向けること」だということ。そして、自分の気持ちに正直に動くことの価値だ。
もしあのとき諦めていたら、私はきっと、自分の世界を広げる喜びを知らないままだった。
親の反対を押し切ったのはあれが最初だった。
自分が心から行きたいと思うのなら、どのタイミングでも、どんな手段でもいいから一歩を踏み出してみると、少しだけ自分への見方が変わるかもしれない。
あのとき灯った小さな火は、今も私の中で、確かに燃え続けている。
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