大学受験に失敗して2年。ふと目に入った「フィリピン語学留学」

今から5年前、21歳の私は1人、フィリピンにいた。
大学受験を大コケした私は、高校卒業後、何をする気も起きなかった。浪人するわけでもなく、色々なアルバイトをしながら、ただ実家でぼーっと過ごしていた。
卒業から2年が経ち、同級生たちの楽しそうな大学生ライフをSNSで目にする度、私は陰鬱になっていった。

そんなある日、本屋でフィリピン短期語学留学という本が目に入った。
当時の私は焦燥感と闘っていた。大学生の友達たちはあと2年で大学卒という肩書きを得て社会へ出て行く。では私はこの先どうなるのか。常に心にあったモヤモヤだった。
それでも行動に移せずにいた時、何故か私に刺さったのはフィリピン短期留学の文字だった。

すぐにインターネットで調べて、フィリピン留学フェアへ行った。そしてその場でフィリピンとカナダへの2カ国留学を決定してきた。
家族には「3週間後から、フィリピンとカナダへ1、2年くらい行ってくる」という事後報告をした。そんな突拍子もない私のことを、笑顔で見送ってくれた両親はどれだけ寛大なのだろうかと今になって思う。
気づいたらそこは南国で、私は一心不乱に語学を勉強した。

留学先で自信をつけたつもりが、ある一言で怖くなった

4か月、フィリピンでがっつり英語の勉強をした私は、カナダに行ってもそれなりに自信があった。
だがある時を境に、私は1人でカフェに入るのが怖くなってしまった。それは私がよくも悪くも“日本人”だから。

カナダに来て最初にカフェに行った際、店員に言われた「何言ってんの、聞こえないんだけど」という言葉。文法が間違っているのか、発音が違うのか、考えれば考えるほど声は小さくなっていった。
結局いつも注文は、発音しやすい「ホットコーヒー」にしていた。

ブラジル人の友人とランチに行った際も、私はどれが注文しやすいかをいちばんに考えた。先に注文を決めた彼女は先にレジに並んで注文した。
私は驚いた。彼女の英語は、お世辞にも上手とは言えない。かなり癖のあるアクセントと間違った文法で、言ってしまえば、へたっぴな英語だった。

店員は、もちろん何度も聞き返していた。その度、なんでわからないの?とでも言い出しそうな勢いで、彼女は注文を繰り返していた。最終的には注文が通り、彼女は満足そうだった。私には、決定的に足りないものだった。

留学に来てたくさんの発見が日々ある。発見だけではない。否応無く思い知らされることも。
そりゃそうだ。文化が違えば、みんなバックグラウンドも違う。考え方から何から何まで。日本人といるより、違う国からきたクラスメイトと話す方が楽しいのは、予期していなかった答えが、突然飛び出してきたりするから。

旅先で色々な人たちと出会うことで、自分の視野や考え方が広がる

その中でも、大きく頷かせられる出来事があった。
学校の休み時間に、今日の授業のトピックについてみんなで話していた時だった。1人の日本人がこう切り出した。

「日本を離れる前にね、弟が地元で就職したの。そしたらご近所さんが、親孝行者ねって言ってきたの。私なんか、出発するまで肩身狭かった」
すると、アルゼンチンから来た年配のクラスメイトが、
「なんでそれが親孝行なの?」
と言った。私たち日本人はポカン。

「私の息子は、頭も悪いし取り柄もないけど、生きているだけで私にとっては十分親孝行。それは、親が決めることであって、他人が親孝行だと決めつけたり、とやかく言うべきではないわ。褒め言葉として使うとしてもね」
実際の母親の意見は、ものすごく重かった。

それを聞いていた担任(おばあちゃん先生)はこう話した。
「その通りね。実際私もそうだった。私ね美術大学に行ってたの。絵を勉強していたのね。でも見てごらんなさい。今は全く関係のない、英語の先生。でも、私の両親はあなたが誇りよといつも言ってくれていたわ。だから、私はこの道に来たことを一度も後悔したことはないし、自分を誇りに思ってる」

日本人以外の生徒は笑っていた。私たちは心の中の何かを突かれたようだった。そんな考え、たぶん日本人は持ち合わせていなかったからだろう。
日本人はいささか、他人の評価を気にしすぎなのだと思う。大事なのは何か。最も大事な人は誰かを忘れている。心を大きく揺さぶられた日だった。

この留学でいちばん学んだことは、色々な経験をした人たちと出会い話すことで、自分の視野や考え方が広がるということだった。
別に旅に出なくても、色々な人には会える。そう言われるかもしれない。だが、自分の知らない土地で、完全に固定概念や価値観の違う人に出会えるのは、旅に出たから。だからこそ、いつもとはジャンルの違う人たちと会話し、新しい扉を開けるのだと思う。
それに、もともと外交的ではなかった私をそうさせたのは、話さないと生活していけない、生きていけない、そういう環境のおかげだったのだろう。

わたしに旅が必要な理由、それは、私をひとまわりもふた回りも成長させてくれる、そんな時間をくれるからだ。