一週間ママを休んで訪れたフィンランド。そこには楽園なんてなかった

7月4日。ここフランスでは、夏休み最後の登校日。子どもたちを小学校に迎えに行き、長男の担任の先生にお礼を言ったら、「よいバカンスを」と、ひとすじの風みたいにさわやかな声で返された。
その瞬間、胸の奥で何かがひっくり返った。二日酔いの朝みたいに、ずしりとした倦怠感が頭から足の先まで流れる。私の表情がすっと曇ったのだと思う。先生はそれを見て、肩をすくめるように笑って「まあ、ママにとってはバカンスじゃないけどね」とつけ加えた。
その通りだ。フランスの夏休みは長い。二ヶ月もある。異国の地で子どもたちと過ごさなくてはいけない日々は、出口が見えない、いくら息を吸っても空気が薄いトンネルのようだ。
だから今年は作戦を変えた。夫と話し合って、バカンスを分担制にした。7月は夫が三人の子どもを連れてロンドンへ。8月は私がマヨルカに連れて行く。
つまり7月、私は長男が生まれてから初めて、一週間も子どもと離れることになる。母親になってから、今までこんなに夏休みが待ち遠しいことはなかった。
その一週間で何をしようか。最初は考えた。家を磨き上げるとか、美味しい料理を作って、帰ってきた子どもと夫を驚かせようか、と。
でも結局、私は「ママをお休みする」と決めた。この長さの自由は、夏じゃなきゃ手に入らない。
でも、パリに残ると、きっと家のことをしてしまう。だから私は、フィンランドのタンペレへ行くことにした。数年前からサウナにハマっていたからだ。十数年前に妹と一度ヘルシンキを訪れたけれど、そのときは一度もサウナに入らなかった。でも、今回は何もかも、あの自由だった頃とは違う。
今回のために買った、ガイドブックにはこう書いてある。「温度と湿度もバッチリなサウナの熱気のあとに、キラッキラの湖に飛び込んで、何もかも忘れて自由になれる」。それは、今の私が一番欲していたものだった。言葉も空気も違う、どこか遠いところで、もう一度「本来の人生」を取り戻したかった。
そして、その日が来た。タンペレは美しかった。空気が澄みきっていて、人々の顔には満たされている人だけが持つ静けさがあった。フランスとはまるで違う。ここで暮らせばどれだけ幸せになるだろう。
そう思って、サウナ室に入った。湖のほとりの、公衆サウナだ。サウナの扉を閉めた瞬間、木の香りと湿った熱気が肌にまとわりついた。息をするたび、熱が肺の奥まで流れ込み、心臓が自分の体を叩く音がやけに大きく響く。
最高じゃないか。もう二度とパリに戻りたくない。そう考えていると、一人の日本人女性に声をかけられた。彼女は十年以上フィンランドに住んでいるらしい。彼女にフィンランドの良さを語ると、小さく笑ってこう返された。
「でもね、ここも楽園じゃないのよ。今はドラッグが流行っていて、街には注射器を捨てるためのゴミ箱があちこちにあるの。失業率もすごく高い」
そのとき、気づいた。私はどこの国に行っても、結局同じ幻想を抱いていた。「ここで暮らせば幸せになれる」フランスに来る前も、まったく同じことを考えていたのだった……。育児に関しても、そうだった。
私は九年前に長男を産み、そのあと二歳違いで次々と子どもが生まれて、ずっと走り続けてきた。立ち止まることなんてなかった。だから、子どもがいなければ、どれだけ自由で美しい人生だったのだろうと想像していた。やりたいこともできて、仕事も進んで、夫婦仲も穏やかで、趣味も充実して。そんなバラ色の生活が待っていると思っていた。
子どもがいないからと、タンペレでは、ぎゅうぎゅうに予定を詰めこんだ。たくさん観光して、たくさん仕事を持って行った。
でも、結局、ほとんど何もできなかった。
行きのフライトや、長距離電車では、子どもがいないなら仕事ができるだろうと思っていたが、昼寝をして終わった。子どもがいないなら行けると思って訪れた場所は休館だった。体力は想像以上になく、ホテルのベッドでぐったりと横になり、窓から雲が移動していくのを見ているだけの時間も多かった。
あぁ、そうか、と私は思った。子どもがいなければ、もっとやりたいことができると思っていたけれど、違った。子どもがいても、いなくても、私は私のままで、結局そんなに変わらない……。
そんなことを考えていると、気づいたら日本人の女性はいなくなっていた。私もサウナを出て、湖の飛び込み台にのぼる。ガイドブックの「キラッキラの湖」は嘘だった。水面にはアメンボが群れ、緑の藻が漂い、虫の世界と人間の世界が溶け合っている。岸辺にはカップルと家族連れがひしめいていて、写真の中の透明な景色はどこにもない。
これは、この夏だから、見れた景色。初めて子どもと離れて、九年間抱え続けていた妄想が、やわらかく、確実に打ち砕かれた。
ーーばーか。ばいばい、わたし。
私は湖に飛び込んだ。鼻をつまむのを忘れたせいで、水が痛いほど奥まで入り、視界がぐるりと回転する。むせながら陸に上がり、人の合間をすり抜けて、背中に石と岩の感触を感じながら横たわった。
風が頬を撫でる。子どもがいなくても、私は何も変わらない。夢見ていた楽園も、どこにもない。
それでも、少しだけ違う景色の中で、私はその真実を受け入れた。
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