ホクロは前世で愛された痕跡?私は今、自分で自分の体を愛したい

私のコンプレックスは、ホクロだ。
その特徴を説明すると、目立つ物が1個というわけではなく、顔や体のあらゆる場所に満遍なく黒い点が散らばっているという感じだ。
私はこのホクロ体質にとても辟易している。
これは完全なる父からの遺伝だ。
決して恨んでいるわけではないが、もし万が一将来自分の子供に遺伝したら申し訳なく思う程にはこの体質を好きになれない。
たとえ『ホクロは前世で愛する人にキスされた場所の痕跡』などと言われても、コンプレックスには変わりない。前世ではなく今世で、誰かに愛されたことより自分で自分の体を愛せることの方が今の私には重要なのだ。
だが、昔からコンプレックスだったわけではないし、大きなきっかけも特になかったと思う。
誰かと自分の肌を比べたこともなかったし、誰かにからかわれたことも幸いなかった。けれど、高校を卒業する時には少なからず顔のホクロは厄介な存在に変わっていた。その頃から急激に進化しだした加工アプリで「あぁホクロが一つもなかったらこんな感じなんだ」と気づいてから、SNSに載せる自分の顔は絶対に黒い点が一つもない状態の写真しか投稿しなくなった。画面の中の私がどれだけ理想になろうと現実の私が変わることはなく、むしろ成長に伴ってより一層数も濃さも憎たらしいほど増していった。
大学生になってコスメを研究しだしてからは、どうにか理想の自分に近づこうといそしんだ。ニキビやクマじゃなくてホクロを隠せるコンシーラーやテクニックはないのか調べたり、BAさんにカバー力をうたってる商品をタッチアップしてもらうがあまりの隠れなさに気まずくなったりもした。そしてその時たどり着いたのが、海外製のホクロ除去キットだった。これは今でも本当に後悔している程オススメできない。結果として黒い色素は無くなるが、傷跡のように白く残ってきっと一生消えることはない。もちろん当時も美容医療の施術を選択できたわけだが、20歳そこそこの私にはかなりハードルが高かった。
最終的には美容医療にお世話になるのだが、今ではもっと早く頼ればよかったと心底思っている。それまでの自分は知らぬ間に増えている黒い色素を見つける度に自分の理想からどんどん遠ざかっていくようで、どうして私はこんな体質なんだろうとやり切れない感情を飲み込むしかなかった。周りにからかわれたことがないのは本当だが、家族に「顔に何かついてるよ?鼻くそ?あー、くすんべか。(※方言でホクロのこと)」と悪意なく言われたことは何度かあって、その度に笑って流しながら心の中は言い表せないどす黒い感情が渦巻いた時も正直あった。「コンプレックスとかある?」と聞かれても、不思議なもので本当のコンプレックスは口に出すことも嫌な私は「指が太いことかな~」などと噓ではないが当たり障りのない返事しかできなかった。
なかなか踏み出せなかった美容医療に5年前ようやく挑戦できたのは、同じコンプレックスがあり施術経過レポを投稿していた今は亡きYoutuberの女の子だった。勇気をもらって「ほくろ」「ホクロ」「黒子」あらゆる単語で検索しクリニックと施術を決めた。当日はこれまでの膨大な自己嫌悪の時間が嘘みたいにあっという間に終わり、施術中初めて人の肌が焼ける匂いを味わって帰りのレストランでお肉が食べられなかったことを覚えている。
今日まで顔・身体含めて計20個以上のホクロ除去を経験してきた。
にもかかわらず、私の全身にはいまだに人より多いと言える程のホクロがあちこちにあるし、むしろまた違う場所に増えている気もする。まるでイタチごっこだ。だから、きっとこれからもこの体質と戦うし、コンプレックスでなくなる日は来ないんじゃないかとさえ思う。
「コンプレックスも愛そう」「ありのままの自分を好きになろう」などと綺麗事を言うつもりは微塵もない。
相変わらずこの体質は好きになれないし、均一な肌にわざわざメイクでホクロを描き足してる人を見ると羨ましいとすら思う。けれど、マイナスなことばかりではなかったのも事実だ。悩みを悩みのまま終わらせずに向き合おうとしたことも、自分の言葉が相手にとって刃にならないか立ち止まって考えるようになったことも、試行錯誤を繰り返したら自信が持てる方法は見つかるんだという発見も、副産物としてはいい武器を身に付けたように思う。
今世の私は自分で自分を愛しておくからね。頼むぞ、来世の私。
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