高身長の帰国子女。見た目や肩書と中身が見合っていなかった私

見た目と中身が見合っていないことがコンプレックスだった。
比較的背の高い両親のもとに生まれたこともあり、昔から背が高かった。幼稚園の頃からクラスで背の順に並べば、一番後ろであることも多かった。ただ、早生まれだったこともあり、体の大きさに反して中身が伴っていなかった。
見た目からすれば自分の本来の学年の1ー2学年上くらいの能力がありそうに見えるのに、実際は1学年下のような能力しかない。先生が出した指示を理解するのに周囲より数テンポ遅かったり、理解を間違えたりすることも少なくなかった。体の大きさも相まって、間違った行動をすると物理的に目立つことも多かった。
「●●ちゃんはできるのにね」親含め大人から言われることもあった。
当時は背の高さが自分のできなさを助長させていると思い、猫背気味に下を向いて歩いていたこともあった。
どうにか自分の見た目と中身を一致させたい。その想いは成長しても変わらなかった。
見た目は賢そうに見えるが、そこまで頭が良いわけではない。帰国子女という肩書にしては英語ができない。外見という見た目だけではなく、肩書という見た目の持つ能力に自分が見合わないというねじれに苦しむことも増えてきた。
自分の見た目、求められている自分にどうにか近づけるように、勉強をしたり、資格取得を目指したり、色々なことをしたが、試験の点数が伴わなかったり、合格しなかったりすることも多かった。そのたびに周囲の期待を裏切った、自分はダメな人間なんだと思った。
環境が勝手につけた肩書がコンプレックスだった。徐々にわかってきたことは、自分が得意としないこと、好きではないことを周囲に期待されていると思って、無理やりその理想像に近づけようと闇雲に頑張ってきたせいでギャップが埋められないのだということだ。
最近、自分の関心ごとに近い資格を受験したり、単発の試験などではなく、コツコツと地道に努力をすることで修了できるプログラムの受講をしたりすることで、歩留まりが高まり、良い結果が得られる機会に恵まれることが圧倒的に増えた。自分にも得意な分野があるのだ、評価されるスキルがあるのだ、という自信を持てるようになり、これまでとは違った層との関わりも持つことができて視野が広がった。
思えば身長も、成長するにつれて皆が追い付いてきたことや友人も同じくらいの身長の子が増えたことで、コンプレックスではなくなってきた。
自分では変えられない、見た目や生まれ育った環境から来る肩書など、変えられない部分に合わせて無理やりな努力をするのではなく、自分の居場所を変える。コンプレックスに思っていたことを主軸のスキルとせず、プラスアルファのスキルとすることで、必須要件からアドバンテージに変えることができる。気づくことに時間がかかったが、苦しんでいたころの自分に戻れるのであれば早く伝えて、自分の居場所を早く見つけてもらいたい。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。