誰かの放った一言が、ひどく心を深くえぐる時がある。
それは、まるで鋭利な刃物のようだった。自分でも蓋をしていたコンプレックスという傷を無理やりこじ開けられた気分だった。私の場合は、付き合っていた頃に元夫から言われた「お前の歯並びって汚いな」という一言だった。その瞬間まで忘れていた過去が蘇り、自分の口元が急に世界で一番恥ずべきものになった。

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確かに、自分の口元はあまり綺麗なものではなかった。親譲りの顎の小ささからか、上の前歯は動物のビーバーのように出っ張っていた。下の歯は密集していて、まるでショッピングモールでぐちゃぐちゃに止まっている車のようだった。それを気にしていた両親は近所の歯科医で矯正を受けさせてくれたのだが、当時は簡素なワイヤーで手入れも大変だった。食事の度にケースに出し入れしなくてはならず、同級生からの視線も気になった。何より元々あった偏頭痛が更に酷くなってしまい、やむなく止めたという過去があった。

元夫からの言葉は、それまで気にしていなかった過去の傷口が再び開かれた思いがした。それからの日々は、まるで口元に大きな磁石がついているかのように、他人の視線がそこに吸い寄せられるような気がしてならなかった。鏡を見るたびに憂鬱な気分になり、人前ではあまり口を開かないでいいように過ごした。

写真や食事なんてもっての外だ。コンプレックスは私に歯並びが悪いことへの罪悪感を持たせ、表情だけでなく性格をも暗くした。 夜な夜な「歯並び 治し方」「歯列矯正 費用」といった言葉を検索しては、モデルや女優さんの真っ白で均整の取れた歯にため息をつき、自分には到底手の届かない「美の基準」を眺めていた。鏡の前では、口角を上げる練習をしながらも、どうしても歯が見えないようにと、どこか不自然な微笑みを試行錯誤する日々だった。

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そんな日々が続いていたが、大学に入りさまざまな人と出会う中で、ふと「世間の『当たり前』の基準」がどこかおかしいのではないか、と思うようになった。完璧な歯並びも、流行りのファッションも、誰かが作った幻想に過ぎないのかもしれない。

しかし、心の奥底で感じていたのは「このままではいけない」という強い焦燥感だった。コンプレックスは誰かに押し付けられたものではなく、自分自身が向き合うべき課題なのだと気づいた。 大学では、そんなコンプレックスを感じさせないでくれる友人や先生と多く知り合えた。外見や身だしなみも大切だが内面を豊かにすることが一番であり、お互いの悩みやコンプレックスを話すことで悩んでいるのは自分だけではないのだと強く感じることができた。当時は美容整形はおろか歯科矯正も金銭的にも精神的にハードルが高く諦めざるをえなかったが、その代わりに私はコンプレックスを気にせず笑い合える友人やありのままの自分で居られる環境を手に入れることが出来た。 

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しかし、再びコンプレックスは私に暗い影を落とした。結婚して子供が生まれ、自分のことにかまける余裕がなくなり歯もボロボロに。相変わらず私のコンプレックスを刺激したり、気分の悪くなるような言葉しか言ってくれない元夫とは別れ、私はようやく落ち着いて安心して過ごせる環境に身を置けるようになった。

そして私は一歩踏み出し、近所の歯科医で再び歯科矯正を始めた。装置を付けたばかりの頃は発音もしづらく、あまりの痛みに続けられるのか不安になり、何度も後悔しそうになった。しかし、少しずつだが歯が動いていくのを感じるたびに、心がふわりと軽くなっていくのを感じた。

それは単に歯並びが整うという物理的な変化だけではなく、過去の自分を「もう大丈夫だよ」と、ぎゅっと抱きしめて成仏させてあげるような、内面的な変化だった。 今、あの頃の自分を思い返すと、歯並びそのものよりも、「自分は足りない」「どこか欠けている」と感じていた心の状態を何よりもコンプレックスとして捉えていたことに気づく。なぜもっと早く、あの時思い切って治さなかったのかと少しだけ悔いが残る。だって、人生は何度でもやり直せるのだから。

だが、その経験があったからこそ「自分の弱さ」への捉え方が変わった。それはただの「足りない」部分ではなく、向き合うことで成長の糧となる「伸びしろ」なのだと知った。 

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最近生まれた新たな悩みは、若い頃とはかなり違う。それは実の母親の体力的な衰えだったり、自分の子供の成長に対する金銭的な不安だったり、自分だけではなく他者とも深く根ざしているものだ。それらは、もはや「他人からどう見られるか」という外的なコンプレックスではない。それは「自分はその問題に対してどこまで向き合うことが出来るのか」という自己との対話から生まれる葛藤であり、他者との比較ではない分より複雑で奥深いものだ。

しかし、若い時から続いた歯並びのコンプレックスと向き合い克服しつつある私には、この経験が確かな自信を与えてくれている気がする。どんな悩みも真正面から見つめ、少しずつでも良いから一歩ずつ行動することで、必ず解決への道は開けるのだと感じた。後めたさをかけていた歯並びは、私に行動する勇気と笑顔を教えてくれた。それはコンプレックスをアドバンテージに変えるという、人生の大きな学びだったのだ。