あの日は、雨が降っていた。
3月に入り、季節が春に変わっても降りしきる雨は、とても冷たかった。
大学4年生を迎えたわたしは、最後の学生生活を楽しむ余裕はなく、瞬く間に就職活動が始まった。
「わたしは大手商社を目指してるんだ!」
「教育系のベンチャーに行きたいな」
周りの友だちは最初から、志望している業界や会社が決まっていて、手帳を開けばすでに面接予定やOG訪問がぎっしり詰まっていた。

雨の日に面接練習会を入れた自分を恨むと同時に、腹の虫が鳴った

「のどかはどの業界目指しているの?」
「えっ。とりあえず合同説明会に行ってみようかなと思ってる」
「そっか~。お互い希望している会社に内定もらえたらいいね!」

ウソだ。
合同説明会に行っても、とくに「この会社へ行きたい!」といった気持ちがなく、自分が1年後社会人になっているなんて想像できなかった。
それに、学生生活に頑張ってきたものと胸を張って言えるくらい素晴らしいエピソードは持っていないし、自己PRも自信を持って言えなかった。

「最初からこんな調子で大丈夫かな」
そう悩みながら大学を出ると、冷たい雨が降ってきた。
「よりによって就活スーツを身にまとった日に降るなんて!はぁ……」
面接練習会を今日に入れてしまった自分を恨んだ。
同時に、お昼を知らせる腹の虫が鳴った。

「あのラーメン屋、行こうかな」
大学から歩いて5分ほどの塩ラーメン屋さん。
学生時代に何度も足を運んだこのお店。なかでも、わたしは特に「魚介塩ラーメン」が大好きだった。

絶品ラーメンを作る店主のように、わたしにそんな強みはないな

店内に入ると12時前なのにお客さんは1人だけ。
食券を渡し、待っている間は店内に置いてあるマンガを片手に、ワイドショーを眺める。
このお店は、店主1人で回している。
口コミ情報によると、店主さんは元フランス料理店で腕を振るっていたらしい。
繊細な味付けが塩ラーメンのうまみを引き出していると思うと、この店の絶品に納得する。
納得したのち、「フランス料理店で働き、自分でラーメン屋を開くなんて、わたしにはそんな強みないな」と無意識に店主と比較をしている自分もそこにいた。
「はい、どうぞ」
考えを巡らせていると、目の前の少し高いカウンターからラーメンを提供してきた。

美しい。
ラーメンを美しいと表現するのは変だと思うが、それ以外の言葉でこのラーメンを表現することは難しい。
透き通った黄金色のスープに、小麦が目立つ細麺。
優しい黄土色のメンマに、貝割れ大根の緑色、鶏胸肉のチャーシューなど、強い色彩がないのも、このラーメンの特徴。

「元気をだして」と背中を押されるかのような味に、夢中で麺をすする

「いただきます」
落ち込んでいても、お腹はすく。1口目のスープでまずは胃を温めた。
「おいしい」
ぽっと口から出てしまった。背中を向けている店主にはきっと聞こえていない。
行列のできるラーメン店だと、材料の特徴から製法から、考えに考え褒め倒さなければいけない。
しかし、本当に美味しい商品はそんな言葉はいらない。「おいしい」だけで十分である。

塩味だけではない、干ししいたけや魚の風味が口全体に広がるスープ。
個人的には、母親が作るお吸い物を思い出させる味わいで、冷え切った体には褒美の味だった。
落ち込んでいても、「元気をだして」と背中を押されているかのようで、2口目からは夢中で麺をすすっていた。
ハリがあり噛み応えもある麺は、噛めば噛むほどスープと絡みあい、箸が止まらない。
3種のトッピングも、それぞれの素材の美味しさを引き立ち、お互いが口の中で協調していた。

スープをごくごくと飲み切ったあと、なんだか元気が湧いてきた

食べ終わるまで感動が止まらず、じっくり時間をかけて食べたいが、お客さんが次々と入ってくる。
どうやら、この感動は次のお客さんへパスするべきだと、少し急いだ。

最後の一口は、器の縁に飾られた海苔と一緒に食べるのが、わたし流の食べ方。
磯の風味が塩味とマッチするが、しょっぱすぎないところが不思議である。
スープを最後まで飲むと喉が乾くが、ここのラーメンは特別である。
1口目で感じたあの応援が、ごくごくと喉越しを奏でながら再び強く感じ、飲み切ったあとはなんだか元気が湧いてきた。

「ごちそうさま、ありがとうございました」
わたしは店主さんと挨拶しかしたことがないが、こんな温かいラーメンを作れる店主さんはきっと心優しい方なのだろう。
その思いを心の中にしまいながら、お店をあとにした。

相変わらず、外は雨が降っていた。
しかし、わたしの心の中は晴れていた。