「君の親のバーキンは学費になったんだよ」

ある人に言われた。その時は、私と、私より年齢が上の何人かで話していた。その人が最近高い買い物をしたという話から、高いと言えばバーキンだけどという流れになった。私が謙遜のつもりで「バーキンなんて私には縁遠いものだから分かりませんが」と言うと、冒頭の言葉を返された。

それは、私が言われて最も苦しくなる言葉だった。私は学費の高い私立大学に通わせてもらっている。私にとっては、親への最も大きな引け目であり、負い目だった。苦笑いでその場をやり過ごしながら、内心では、息が詰まるような気持ちでいっぱいだった。

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実際にエルメスの高級バッグで知られる、バーキンの値段を調べた。バーキンと一口に言ってもピンキリだが、私の卒業までにかかる学費は、その人が言ったように、十分バーキンと張り合えるものだった。その人が私の学費を正確に把握していたとは思えないし、何の悪気もなかったのだろう。ただ、気軽に出たひと言。でも、その「気軽さ」が私の中に沈殿していた負い目をぐさりと突いた。宙に舞って行き場を失った負い目のせいで、うまく息ができなかった。

私はせめてと給付型の奨学金も雀の涙ほどを勝ち取って、生活費は自分で賄っている。少しでも親の負担を減らしたくて、無理をしてでも自立しようとしているつもりだった。でも、そんなふうに言い訳のような反論が次々に頭に浮かぶ時点で、もう私は惨めだった。それを口にしないことが、せめてもの私の矜持だった。言ってしまえば、私の負けだと思った。だから、その場では「そうですね」と曖昧に返した。

私の親は、本当は学費以外の使い方をしたかったのだろうか。聞く勇気もないことを帰り道、1人で悶々と考えた。旅行に行ったり、趣味を楽しんだり、あるいは本当にバーキンを買ったり。そんな人生もあったはずだ。でも、それを私は選ばせなかった。私が「学びたい」と言ったその一言で、選択肢を一つ奪ったのかもしれない。でも、今更どうすることもできないし、私がすべきは、学費をどうにかすることではないはずだった。

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勉強して、私の思う立派な社会人になること。私の負い目はそれまでしまっておくべきではないだろうか。私にはまだ親の気持ちなんて分からない。でも、一般論的に考えれば、それが一番真っ当な道に思えた。

私の中の負い目は、きっと一生消えない。でも、それを心の奥にしまい込んで、目の前のことに向き合うしかない。親の人生の一部を、私がもらっているのだとしたら、その分、私も誰かの人生に何かを返せる人間にならなければいけない。

あの時言われた言葉は、今も胸に刺さっている。でも、その痛みがあるから、私は前に進もうと思えるのかもしれない。