私の趣味は旅行である。それもひとりで旅に出ること、国内だけではなく海外へも行く。
そんな話を他人にすると「すごいね」だとか「度胸があるね」と言われることもしばしばある。しかし、旅好きといっても私は決して上級者ではない。

友人と初めての海外。現地の人と会話できなかった私

海外といってもアジア圏のみだし、日本人が出歩いても平気なエリアしか行かない。滞在期間も長くて1週間程度だ。バックパッカーや海外留学、ワーキングホリデーの経験者と比べたら足元にも及ばない。
ひとり旅をする理由を聞かれた際には「人に縛られず自由に行動ができるから」なんて気取ったことを答えたりするが、本当は数少ない友人と休みを合わせるのが大変だからだ。
かつての私は、英語を「言語」として捉えていなかった。学生時代の成績は決して悪くはない。しかし英語はどうしても苦手であった。試験前は教科書の本文と和訳を丸暗記をして乗り切っていた。
そんな中、大学生のときに初めて海外へ行った。同行の友人は現地の人と楽しく会話をしていたが、私はその輪には入れずにただ横で微笑むことしか出来なかった。そんな悔しさがこれまで避けてきた英語と向き合う原動力となった。

いざ一人で海外へ。英語でコミュニケーションがとれる喜び

まず始めたのは中学一年生の英語の教科書の復習だ。私はそもそも基礎がなっていなかったからだ。それからはYouTubeの聞き流しや外国人とアプリでチャットなどを重ね、少しずつ自信が付いてきた。無料で語学を学べる良い時代に生まれた。
そしてついに努力の成果を試すべく、一人で海外に旅に出た。日本語が通じない場所で数日間過ごすことへの不安や緊張で胸が張り裂けそうになった。
旅先では拙い英語だがなんとか目的地へ辿り着くことができた。また、現地の人と他愛もない話や一緒に食事をすることもできた。そこで初めて「英語」を使って「コミュニケーションを取れている」という感覚に喜びを覚えた。
私には海外へ行った際には、浜辺で寝っ転がりながら串刺しフルーツを片手に現地のビールを一杯というルーティンがある。その他のスケジュールはざっくりとしている。近くの寺院や世界遺産を巡る日や、当てもなく知らない街を気の向くままに歩き回る日もある。

海外ではルールを決めて楽しむ。いずれ戻る日常のために

私は国内外を問わず、遺跡や歴史ある建造物を見ることが好きだ。決して歴史や文化に造詣が深い訳ではないが「これ教科書で見たことがある!」という感覚が「義務教育の答え合わせ」という感じがして何か好きだ。
旅行に対して、異国の文化や馴染みのない食べ物など「非日常」を求める部分もある。それに加えて日本にいるときは、自分の思いを人に伝えることが苦手な私にとっては、英語というツールを用いて相手にストレートに物を伝えることができるのも普段とは違うところだ。
自由といっても自分の中で決め事はある。当たり前のことだが、危険なエリアには近づかないこと、お酒はほどほどにすること、10時までにはホテルの部屋に戻ることなどだ。
ルールの中で楽しむのは、全ていずれ戻ることになる「日常」のために。