ずっと「自分の家」がコンプレックスだった。というか「この家の子であること」がコンプレックスだった。

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モノがあふれかえった汚部屋。週に一度しか風呂に入らず、同じ服を1週間以上着続ける自分。2週間以上一度も服を着替えずに寝起きするヒステリックな母。それが一般的に「普通じゃない」ことくらい、幼稚園に入るころには気づいていた。

だから幼稚園では「おままごと」を徹底的に拒否した。わたしがハマっていたのは圧倒的にお絵描きとお姫様ごっこ。空想の世界では、王さまとお妃さまに愛される、サラサラヘアでキラキラドレスのお姫さまになりきっていた。

わたしは幼いころから、母に殴られて泣きながら「怒りとは何なのか」を考え続けていた。「何がこの人をそうさせるのだろう」と。当然そのときに答えは出なかったけれど、そうやって考えることそのものが、心の逃げ場になっていたのだと思う。

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今思えば母は昨今話題の「ワンオペ育児」をしていた。発達障害だろうなという部分も多いし、長女のわたしもその特性をがっつり引き継いでいる。そんな環境下で、彼女は常にキャパシティオーバーしていたのだと思う。

そんな家の子であったわたしは、小学校高学年になってからは、当然のようにいじめられた。それが始まったときの感情は「仕方ない」。彼らがわたしのような「変な家の子」をいじめたい、排除したいと考える心理はいたってスムーズに理解できたので、いじめに対して苦しみを感じることはなかったように思う。

その後も、なにか理不尽な目に遭うたびに「何がこの人をそうさせるのか」を考えながら生きてきた結果、どの人のどんな感情にも、その人なりの理由があるんだなと納得できることが多くなった。「本当に理解不能な人なんてそこまで多くない」という結論に至った。

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母とは結婚を機に縁を切った。今ではもう顔も思い出せなくなりつつあるし、間もなく「母と生きてきた時間」と「母なしで生きてきた時間」では後者の方が長くなる。

結婚前後には精神的に荒れたり病んだりした時期もあったが、実家を出てからは「優しい人だね」と言われることが多くなった。

相手の心情を汲み取り、なぜそう感じるのかに思いを馳せる癖がついているからだと思う。それと、自分自身が「変な家の変な子」として扱われてきたからこそ、自分と違うタイプの人を見ても「排除したい」という攻撃的な欲求が湧かないのも大きい気がする。

現在わたしはライターという仕事をしているが、そこでもこの「優しさ」が良い効果をもたらしてくれている。クライアントがどんな文章を求めているのか、読者が何を読みたくてこの記事を読むのか、そのあたりを想像しながら書く力を評価していただけることが多い。

そういうことをリアルで言うと「親の顔をうかがってきたからそうなってしまったのね、かわいそうに」と言われるが、わたしは自分のことを「かわいそう」だなんてまったく思わない。

実は、わたしは幼いころは無神経にズバズバ物を言う、ちょっとイヤな子どもだったのだ。もし「普通の家」で育ったら、そのままデリカシーのない人間に育ち、今ごろ周囲の人から「あの人はちょっと配慮に欠けるよね」なんて言われていたかもしれない。

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これまでのすべての経験が、今の「わたし」を作ってくれている。

「普通の家の子」じゃなくて正解だったのだ、と、今のわたしは本気で思っている。