200人をも超える同期が集められたこの大講堂の中で、誰よりも教育年数が長く、お金をかけて育てられたであろう私が、誰よりも生きる世界が狭かったことなど、まだ、その当時は誰も知る由がなかった

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27まで学生生活を送っていた私はコロナ禍元年だった2020年、複数の公務員試験に上位の成績で合格し、無事第一志望の職場に内定をもらうことができた。同期の多くは新規大学卒業者の22歳。数少ない高卒区分で入った子は、一回りも年下の18歳だ。

幸い私の部署には3人の同期がいて、研修期間中は性別が同じ一人の女の子とともにその会場へと向かっていた。容姿が良く、誰とでも打ち解けることのできる彼女の周りには常に人が集まっていて、私も時々その仲間に入れてもらうことがあった。そのうちの一人は銀行からの転職組で、法政大学の社会学部出身らしい。

「金原ひとみさんと鈴木涼美さんのお父様が教授をされていたね」

そう言いながら、同じアウトローを描く純文学作家で見た目も派手なのに、中卒と東大大学院修了という対照的すぎる経歴に思わず笑ってしまいそうになる。

同時に、綿矢りささんと島本理生さんを含めてこの年代が超大粒揃いであることに驚きを隠せずにいた。だが、回答は意外なもので、「2人とも知らない」とのことだった。会話をするとき、その内容がそのコミュニティで通ずるものかを考えてから発することが基本であるが、私の中でGOサインを出した2つの内容のうちの1つも通ずることなくあっさりと終わってしまい、何だか申し訳ない気分になった。

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研修終了後は実際に職場で働くことになるが、アルバイト経験の殆どない私にとって、突然正社員として働くのはハードルが高すぎるような不安もあった。働く上で最も重要なことは上司の顔を覚えることで、似ている人を想像しながら覚ると、その大半は学生時代に覚えた社会学者の方々だった。

「Aさんは北大の教授に、Bさんは名古屋大学の教授に、Cさんは芝浦工業大学の教授に似ています」というと、みな教授かい! という突っ込みが周囲から入り、「そうなりますよね、山Pに似てる人なんていないじゃないですか」と、周囲を納得させたと同時に、これまで自分の生きてきた世界がいかに狭いものであるかがわかった。

本来の新規学卒者は22歳で、私と同世代の人は6年ものキャリアを持ち、転職者も珍しくない。長かった学生生活を研究と課外活動に費やし、大学と学生寮の往復しかしてこなかった私は、社会人では大学教授や研究者以外との接点を殆ど持たなかった。

休日の楽しみは同じ関心を持つ若手研究者との意見交換で、博論講読の息抜きにバレエのコンクールの動画を見るのが日課になっていた。極端な食事制限や緻密な調査など、常識から離れたものを良しとする文化や、毎日の継続が必要になることなど、この2つは共通点が多いなぁと思ったりしたが、やはり同じ職場にあまり関心の合う人はいないようであった。

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一方、周囲の方々が私に教えてくれたことも沢山あった。地方ではみな当たり前に所持している車に税金があることを知ったのも、社会人になってからだ。これまで周囲にバイクに乗る者はいなかったが、上司はバイクが好きで370万円のものを購入したという。そのバイクはハーレーダビッドソンというらしく、ハーレーと略されるらしい。私は何度も復唱して初めてバイクの名前を覚えた。

ちょうどその復唱をした日は仁藤夢乃さんが代表を務めるNPO法人colaboの企画展「私たちは『買われた』展」の県内開催が決定した日で、電話で申し込みをすると「誰と電話をしていたの?」と聞かれて内容を話したが、仁藤さんのこともNPOのことも、そうしたジャンルが企画展として成立することも周囲の誰も知らなかった。決して知識をひれかしたつもりはないのに、またもや浮いた気分になってしまった。

その他にも、皆でワークマンに行った際には洋服が4桁で買えることに驚いたが、これ以上はヤバいと思ってぐっとその驚きをこらえていた。

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けれども一般的に考えると、浮いているという現象が象徴するように、普通でないのは私の方だ。アルバイトも奨学金もなく27まで学生を続けた挙げ句に未だに学究肌が抜けず、休みの日はこうして執筆活動を続けたり、専門書を読んだりしている。

使うお金と言えば食べ物と洋服と本と習い事のヨガくらいで、家庭を持っている人のように車とか、住宅ローンとか、そういったものとは全くの無縁だ。そんなもんで金欠の経験がなく、積み立てNISAとかそうした投資にも全く興味を持てずにいる。

昨年、9年ぶりに再会した男友達に垢抜けたねと言われたと同時に「なんか浮世離れした感があるよね」とも言われてしまった。思い起こせば友人のAちゃんもBちゃんも、私のことをお嬢様っぽいと言っていた。

私の住む町は狭く、学歴や勤め先が知らぬところで先走っているのだが、多くの者が私のそれを羨ましがっているようだ。存分に教育機会を与えられ、高等教育機関になじみ27まで学生をした私は、何も分からず今年で32になろうとしている。優等生だったはずの私は実は箱入り娘だったのかもしれない。社会人になって4年目に入った今年、ようやくその事実に気付きはじめたのである。