私は対話がしたいんだ。声じゃない、中身を見てくれよ

「さっきの校内放送、やっぱりお前だよな?お前の声変だからすぐわかった」
中学校の1階廊下にて。
「またかっこつけて言ってるよ」
学校帰りの公園にて。
「お前の声だけ浮いて聴こえる」
放課後、合唱コンクール練習にて。
小学4年生の頃には声変わりが始まり、女性にしては比較的低い声で今も生きている。自分では毎日聞く声なので今更気にも留めないが、周囲にとっては気にかかって仕方ないようだった。
私の注文の声に振り向くサラリーマン、カラオケの待合室でこちらを見る女子高生。細かな視線の動き程度、あちらはもう覚えていないだろうが、見られた私は今でもずっとずっと覚えている。
ありのまま生きる中で実感する。平均以上、以下であることは総じて「変」らしい。
10代の頃、コミュニケーションの大部分を占める「声」がコンプレックスになってしまったことが私にとって大きな痛手だった。人と話すことが好きで積極的に声を掛けたくても、肝心のその「声」を使うのが怖い。無意識のうちに出来るだけ高いトーンで話すようになっていた。「変な声」をカモフラージュするために。
振り返ると、「変な声」に好印象を持ってくれたであろう言葉も貰っていた。
「いい声だから声優さんになれそうだね」
「普段からかっこいい声で羨ましい」
だがあまり素直に喜べない。必ずしも全員がそう思っているわけではないことを経験上知っていたし、そもそも「良い」も「変」も含めて、声を特別なもの扱いされること自体がストレスだった。それに、私への反応は声の印象ばかりで会話の内容を聞いてもらえていない気がする。私は対話がしたいんだ。声じゃない、中身を見てくれよ。
「厄介な声をもった女」という自己認識のまま20歳を迎えた。友人がある日、普段通りの他愛のないやり取りの隙間にこう言った。
「私の声って掠れやすくて通りづらいんだよね」
心底驚いた、今まで会話している中で一度もそんな風に感じたことは無い。しかし当人にとってその声はコンプレックスだったようだ。咄嗟に「気になったことないよ」と否定する。友人は「でも」と続ける。自分と重なる。彼女も過去の一瞬を掠めた棘に怯えているのかもしれない。喉に刺さる棘を見せてもらったその日から彼女との絆が深まった気がしている。一方的に。
いやしかしそうか、楽観的に捉えると、その程度のこと、なのか。10代の私は、相対する人間すべてが私の声に引っかかりを感じているかのように思い込んでいたが、私が友人の声に何の感想も持たずに会話を楽しんでいたように、私の声質など気にも留めずに自然と会話をしている人もいたのだろう。そんな当たり前のことに気付いた日から、「厄介な声をもった女」は「低い声の女」になった。
2022年。コロナ禍を経て、幼少期から好きだった音楽の道を志した私はインターネット上に歌声を載せ始めた。10代の私はきっと、声に関わる反応を多くもらう立場を自ら選んだことにさぞかし驚くだろう。もちろん、匿名性の中でどう揶揄されるか内心怯えていた部分もあったが、それでも歌うことを諦めたくない自分が勝った。
「唯一無二の声だ」
歌声を褒めてくれるリスナーは私の声を「変」ではなく「武器」だと表現した。制作を手伝ってくれたクリエイターも背中を押してくださった。長い時を経て、「変な声」は「私にしか持ち得ない武器」であると判明した。音楽を信じて良かったと心から思った瞬間だった。
他人には共感し得ない過去の細かな棘が、刺さったまま私たちの体を蝕む。でももしかすると、痛くて鬱陶しいその棘が、私たちの人生でしか生み出せない個性的な輪郭を象ってくれているのかもしれない。私の喉元には大量の棘が刺さっている。お陰様で私だけの武器になりそうです。今に見ていろ。
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