自分の生物学的性別は女性だ。毎月月経がキッチリくるし時折やってくる月経由来の偏頭痛にも長いこと悩まされている。
それでも「自分は女性だ」と言い切れない気持ち悪さをずっと抱えて生きてきた。ここにきてそれは違和感から絶望の気持ちに変わりつつある。

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幼い頃に一番好きだったパジャマは、従兄からのお下がりでもらった赤い長ズボンだった。母はそれについてあまり良い顔をしていなかったと思う。

とはいえそれは「男の子の服を喜んで着る娘」に対して向けられていたのではなく、パジャマにあしらわれていた骸骨模様と黒の差し色に対してだった。曰く、幼い子供が黒や骸骨模様を身につけることに抵抗があったらしい。

その後も自分はスカートを全く穿くことなく成長し、中学の制服も身体は女子であるにも関わらずスラックスを選んだ。あれは2010年代前半のこと。ユニセックスやマイノリティだなんて言葉も一般的でない時代において、それは逸脱した選択だった。

とはいえ家族や周囲からそれを咎められたり、とやかく言われることもなかった。そして何も気にせず、深く考えることもなく歳を重ねた。学校内に友人はいなかったが、虐められることも干渉されることもなく過ごすことができた。今思えばとても恵まれた環境だったのだろう。

けれど、あるとき人生で初めての「回避することなど不可能だった障害」にぶつかる。それは今も残る傷を心に残した。

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あれは高校受験の帰り道。第一志望校の面接で大失敗をして、これは落ちたなという確信に包まれ鬱々とした気分の帰路で起きたことだった。
泣きそうな気分を鎮めるため、改札へ向かう前にまず駅ビル内のトイレに立ち寄った。トイレの個室で気分を鎮めてから帰ろうと思ったのだ。

平日昼間の駅ビルのトイレは閑散としていて、誰もいなかった。自分ひとりだけだった。だから完全に油断していた。スラックススタイルの制服を着た学生が女子トイレにいるということの意味を、当時の自分はまるで分かっていなかったのだ。

用を済ませて、手を洗って、ハンカチをスラックスのポケットから取り出したとき。女子トイレに中年女性が入ってきた。そのひとは「男子生徒のような姿の学生」が女子トイレにいるのを見るなりまなじりを上げて怒鳴った。ここは女子トイレよ、と。

一瞬、何を言われているのかが自分には分からなかった。見知らぬ人に突然怒鳴られて睨まれ、頭が真っ白になった。けれど理解が完璧に追い付くよりも前に、口からは弁明の言葉が飛び出ていた。女です。そう言っていた。

幸い、怒鳴ってきたその女性は、男子生徒とは思えない声のトーンで「スラックスを穿いた女子学生」だと察してくれたようだった。女性は気まずそうな顔をして、何も言わずにトイレの個室に入っていた。自分もそれ以上は何も言わず、大慌てでその場を後にした。

帰りの電車の中ではずっと動悸がしていた。当時は受験に失敗したからだと思っていた。でも今思えば、それは違う。突然、見ず知らずのひとに怒鳴られたことが怖かったのだと思う。

弱冠15歳にして、自分は世間から「怪物」だと見做されたのだ。家族も知人も誰もいない場で初めて遭遇した「世間」は、とても理不尽で容赦がなく、外観の中にあるものを何も見てくれないことを知った。この社会が怖いと、そう感じたのだ。

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それから程なくして広場恐怖症となり、今では完全在宅生活のしがないフリーランス。歳を重ねる中でノンバイナリー、エイジェンダーという概念と出会い、「名前がある、つまり同類がいる」と知って少しだけ心が楽になった。

あれから世の中は大きく変化したようで、価値観は多少進歩したらしい。が、最近は旧態依然とした世界に巻き戻そうとしている動きが見えて、恐怖を覚えてもいる。

バックラッシュを仕掛けようとする勢力はよく「女性スペースの安全」を訴える。その議論を見るたびに、自分はついあの時のことを思い出して泣きそうになってしまうのだ。

女性スペースの議論の是非については、言及はしない。でも、その怒号を上げる前に立ち止まって、一度その言葉を飲み込み、考えてほしい。「あなたが怒りをぶつけようとしている対象は怪物ではなく、同じ人間なのかもしれない」ということを覚えていてほしい。

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あの日、怒鳴ってきた人物を恨むことはしない。当時の自分が紛らわしく誤解を招く装いをしていたのは事実であり、その当時の価値観ではまだ当たり前には考えられないイレギュラーだった。そんなものに遭遇したとき、戸惑うのも無理はないのだと思う。
でも怒鳴る前に、別の形で声をかけてもらえたらどんなに良かったか……。

怪物と見做されたあの日の棘は、10年経った今もまだ抜けていない。それなのに、これからの時代をどう生きていけばいいのだろうか。