生理は人類創造の際に起きてしまったバグ。
この一文を目にした時の、なんと心の踊ったことか。
突然だが、私はXジェンダーとしての顔を持つ。
「顔を持つ」という控えめな表現なのは、いまだに“女性である事を享受して”楽に生きている瞬間があるからだ。
理不尽に感じる生理の苦痛を和らげたくて購入した月経カップ
生まれて30年近く。身体的な性に違和感があった時期もある。主に幼稚園児から20歳過ぎまで。
ある時、Xジェンダーという言葉に出会ってとてもしっくり来たし、さらに最近は女性である体の美点を見つけて、
「このカラダも悪くないかな。人間だもの、何かしらのコンプレックスはあるよね」
程度には思うようになった。
容姿や能力に関してのコンプレックスというなら、劣等感として改善するべく努力したり、厚かましくも開き直って顔を上げて生きたりできる。現にそうして来た。
だが生理だけは、どうしても理不尽な気がしてならない。
何故なら実害を被っているから。わざわざここで挙げるまでもないような実害を。
この苦痛が少しでも和らがないものかとあれこれ試した。そのうちの一つが月経カップだ。
セイリを忘れる、快適、効率的、コスパが良い……などと謳われていた。
値段は5000円くらい。将来的にナプキンを買い続ける事を考えれば、と思い購入した。
どうやっても開かない月経カップに苛立ち、血だらけの風呂で泣いた
これが、私には向いていなかった。
まず開かない。経血漏れが気になるから結局ナプキンも消費する。
職場のトイレの個室で10分以上格闘して、指先は血まみれ。不衛生。イライラしながら押し込んで痛みを見る。自業自得。
もちろん入れ方を調べたり、体勢を変えたり、いろいろ工夫はしてみた。使い方をマスターした人はたくさん居るのだろう。私だって買い物をしたからには元を取りたいタイプだ。
だがどれだけやっても、開かないものは開かないのだ。
だいたい、他人がやらなくても済む苦労をしている時点で理不尽だし、割に合っていないんじゃないか?
そんな疑問と苛立ちが噴き出して、ある夜、血だらけの風呂で月経カップを片手に泣いた。
風呂から上がってからは、半ば人生を諦めながらネットであれこれ検索して、
「やっぱり皆セイリ要らないって言ってるなぁ」
などと仲間意識を持って、平静を取り戻そうとしていた。
その時だった。
海外で、現代の女性の生理問題について画期的な意見が交わされていると知ったのは。
「生理は人類創造時に起きたバグ」と聞いた私は、月経カップを捨てた
なんと「生理とは本来不要なもの。人類創造の際に起きてしまったバグ」だというのだ!
さらに、妊娠を望まない女性の生理を止める方法も次々と開発されているらしい。
私の心は踊った。
やはり私たちが感じていた理不尽は、女性に産まれてきたという罪に対する罰などではなかった。
神様がちょっと“やらかしちゃった”だけなのだ。
神様だってミスをする。私たちはそんなバグにたまたま立ち会ってしまった哀れな犠牲者に過ぎない。
そして、神をも超越する頭のいい研究者たちが、そのバグを修正するべく、私たちのために日夜頑張ってくれている。理不尽な事を社会問題として、取り組もうとしている人たちがいる。
そう思うと希望が湧いた。世の中はまだまだ捨てたものじゃない。
いずれは国からも補助が出て、本人が望みさえすれば、生理を止められる形になるかも知れない。理不尽で差別的なものは、何であれ排除されるべきなのだから。
そうしてより簡単に、より快適に、多くの人が生きやすい社会が、作られようとしている。
快適な生活は、すぐそこまで来ている。あともう少しの辛抱だ。
それを知って、私は“5000円”をゴミ箱に捨てた。