初潮は小学3年生の正月だった。お稽古場の新年会へ参加していたとき、なんだかお腹が痛くなってお手洗いに行ったら、下着が赤く染まっていた。

「生理」という言葉は直ぐに出てこなかった。授業でも習っていなかったからだ。
死にそうな顔で「病気?」と、付いてきてくれた祖母に尋ねた。祖母は少し驚いた表情をして、「帰ったらお母さんに言いなね」と、トイレットペーパーを下着と肌の間に挟んでくれた。

生理用ナプキンの使い方がわからないいまま、私は泣きじゃくった

その日の夜、母は「これを持って行きな」とナプキンを渡してくれた。しかし、それをどうやって持って行ったらいいのか、どのタイミングでこれを使ったらいいのか、何もわからなかった私は泣きじゃくった。

「私は死ぬんじゃないの、持って行きたくないよ」と震えた声で反抗すると、「じゃあ血まみれで学校に行きな」と言い返されてしまった。ゾンビのように血まみれで登校する自分を想像し、怖くてトイレに閉じこもってまた泣いた。

しばらくは本当に血まみれで学校生活を過ごした。一部が赤くなった短パンを洗濯かごに入れる度、親に怒られていた。
それでも私は、アレを持って行くよりマシだと思っていて頑なに短パンを赤くしていた。

「はい、これ誕生日プレゼント」
仲良くしていた近所のおばちゃんから、赤い水玉のかわいらしいポーチをもらった。男の子と混じって遊ぶような私には似合わないモノだった。
「これにナプキンを入れて持って行きなさいね」
そう伝えられた時、やっと目の前が開けた感覚がした。なんて画期的なアイテムなの! と本気で感動して、「ありがとう」と言う自分の顔が緩むのが分かった。

私はやっと、学校にナプキンを持って行くようになった。“生理”というもののおかげで堂々とかわいいポーチを持って歩ける、という特別感は魔法のようだった。移動教室は筆箱と一緒に持って歩いた。

周りの子は誰も初潮が来ていないし“生理”というものも知らないだろう。ポーチによって完全にブラックボックス化されたナプキンは、もう恥ずかしいモノではなくなっていた。

理科の授業が終わり、教室へ向かう途中だった。ドンッと背中を叩かれる衝撃で、私はふり返った。私より背の低い男子がニタニタと笑っていた。
私は半笑いしながら、廊下を逃げる男子を追っかけた。後ろから襟ぐりを掴んでビシバシ叩き返しているとき、走ってきた方向から声が上がった。

「こいつ、オムツ持ってきてるぜ!」と他の男子が、いつの間にか落としたポーチを開いて中身を取り出していた。暴かれて廊下に叩き出されたそれを見て、恥ずかしさで脳天がジンと痺れ、指先から感覚が無くなっていく気がした。

「なんでこんなもの持ってきてるんだよ!」「お前オムツ穿いて学校来てるのか!」と遠くから野次を飛ばす男子に対して、私はその場にうずくまることしか出来なかった。それから、私はポーチすら隠すようになった。

お手洗いで「え!」と声が聞こえた。私はとっさに保健室まで走った

中学生になった。周りも初潮を迎えた子が大多数になっていて、あの製品のパッケージがかわいいだとか、どうやってお手洗いまで運ぶか等、様々な情報交換がされていた。

その頃も私も変わらず男子と遊んでいて、昼休みにはバスケをして楽しく過ごしていた。水泳を休まなければいけないのは辛かったが、持久走は休むことなくテキトーに走っていた。
そうしたら一部の女子から「なんで本気で走らないの?」と詰め寄られて、なんとなくそういう女子を避けるようになっていた。

ある日の体育終わり、お手洗いで顔を洗っていると、個室から「え!」と声が聞こえた。その場には自分以外いなかったので、仕方なく個室のドアをノックして声を掛けた。中から返ってきたのは「どうしよう、きちゃった」という今にも泣きだしそうな返事だった。

何が“きた”のか、すぐに察することが出来た。私は保健室へ走った。
他の女子に助けを求めるにも、誰かに生理になったことを知られるのは恥ずかしいだろうと考えたからだった。

息切れしながらもらってきたナプキンを個室に放り投げると、「ありがとう」と安心した声が返ってきた。苦手だった女子のために走り、感謝までされてしまってなんだか気恥ずかしくなった。

私の中では「どうして」が渦巻いて、生理をまだ前向きに捉えられない

大学を卒業する年になり、久々の地元での飲み会に参加した。たまたま隣の席になった男子に、「ナプキンをオムツだって言ったの覚えてる?」と尋ねた。すると、「え、俺そんなこと言ったっけ?」とそいつは気まずそうにしていた。
その知見があの頃にあったら良かったのになという嫌味な気持ちが湧いたが、「あねー」と気の抜けた返事をして酒と共に流した。

私は生理の経験をまだ前向きに捉えられない。
どうして学校で教えてくれなかったんだと思うし、どうして初潮前から対処法を教えてくれる大人がいなかったんだと悔しくなる。どうしてこんなに辛い思いをしなければならなかったんだ、どうしてナプキンを持ち運ぶのに神経を使わなければいけないんだ。
私の中ではずっと、「どうして」が渦巻いている。

毎月布団の中で丸まって痛みに耐えている時、「せめて、周りの人が生理の時には手を差し伸べられるような人間でありたい」と思う。