「もっと本気出せ!」
誰に言っているのだろうか、と声のする方に目を向けると、先生と目が合った。え、私に言っているの?

「もっと気合い入れて走れ!」
いや、これ本気なんですけど。これ以上は足がもげるという気持ちで、走ってますけど。

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高校1年、体育の時間。春の体力測定、100メートル走。もう一度走らされたが、タイムは1回目と大して変わらなかった。そりゃ、本気でしたもの。

「なんかね、笑顔で走ってるから、気合い入ってないって思われているのかも」

私の走る姿を見た友だちは、そう言った。

確かに、私は走り出すと、なぜか笑ってしまう。かといって、決して手を抜いているわけではない。これはマジで本気だったのか、と、2回目の走りを見た先生は、なんとも言えない顔をしていた。

昔から、運動神経が悪いのがコンプレックスだった。走るのは遅いし、球技なんてもってのほか。ボールパスはまず受けられないし、運良くキャッチできたとしても変な方向へ投げてしまう。中学校では、体調不良だと嘘をついて授業を見学したこともあるし、体育祭も嫌いだった。運動神経の悪さに加え、走る時につい笑ってしまうのがネックだった。どうしたって早く走れないのに、一生懸命に手足をバタつかせる自分の姿が、急に客観的に見えて、おかしくなる。

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ところで、私には、行きたい大学があった。それも推薦入試で。そのためには、内申点が非常に重要だった。手前味噌ではあるが、1学期の通知表は、先生からの評価も良かったし、成績も良かった。但し、体育を除いては。

まずい。これは致命的だ。このままでは理想通りの未来を歩めない。
夏休み明けから、先生の言葉通り、本気を出すことにした。でも、先生が予想していたのと違う角度で。
体操服に素早く着替えると、できるだけ速やかに、グラウンドや体育館へ移動する。そして、積極的に授業の準備をする。マットを出したり、バレーボールネットを倉庫から運んだり、チーム毎にピブスを分けておいたりする。先生に「何か手伝うことはありますか」と尋ねて、プリントを配布したりもした。もちろん、授業後の片付けも、主体的にやる。

ずるいやり方だというのは、十分に自覚している。私が気付かなかっただけで「なんだ、あの意識高いのは」と、陰で言われたこともあったかもしれない。でも、体育のせいで内申点をガクンと下げないためには、これしか方法がなかった。

運動部でもない私は、元々体育の先生との交流が普段から薄かった。ラグビー部の顧問でもあった先生は、普段から笑顔を見せず、顔も強面だった。だから、最初のうちは先生が近くにいても、良いことをしているはずなのにコソコソ準備をしていた。

「ほら、お前らも手伝ってやれ」

何度めかのある日、先生は、ダラダラとおしゃべりする生徒たちに向かって大きな声で指示した後、「いつもありがとうな」と私に声をかけてくれた。

体育の授業は、運動ができる人達ばかりが活躍し、できない私はずっと肩身が狭かったが、この言葉で初めて、先生に認めてもらったような気がした。
それからは、気持ちに余裕ができて、何となく堂々と準備ができるようになった。「ああいう場合は、ボールの正面へ回った方が受けやすいぞ」などと、片付けの際にアドバイスをくれるようにもなった。

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その後、内申点は体育が極端に邪魔することはなくなり、受験勉強も必死にやったお陰で、行きたい大学に合格した。3年間で、私はちゃんと、本気を出した。

余談だが、私は運動はできないけれど、スポーツ観戦はとても好きだ。応援している人やチームの結果を見て、まるで自分も出場していたかのように一喜一憂する。しかし、駅伝やオリンピックの陸上競技を見ていても、笑いながら走っている選手は1人も見たことがない。先生が言っていたことは、あながち間違いではなかったのかなあ、なんて思うこともある。