私はコンプレックスの塊だ。もっとこうだったらいいのに、と思うところがたくさんある。
見た目では、おでこには丸みが欲しいし、エラが張って見えるのも気に入らない。それにメリハリのある身体になりたい。
小さなものから大きなものまで、コンプレックスを挙げ始めるときりがない。
見た目に関しては、こうなりたいと思う姿に対して、自分自身を近づけていくことでコンプレックスを目立たないようにしている。

一方で私のことをとても羨む人がいるのが事実だ。 例えば少し高めの身長。
ヒールは穿けば大きい、理想もプライドも高そうだという印象を与えてしまうのだが、女子目線だと、スタイルが良くて羨ましいとよく言われる。

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しかし、外見だけでなく、内面のコンプレックスもある。少し前まで自分に全く自信がなかった。こんな私なんてダメダメだと思っていたので、自分の悪いところばかり目についていた。

人見知りでコミュニケーション力がない、計画性がないなど外見以上にコンプレックスを抱えてるかもしれない。内面のコンプレックスも、外見のように直していけたらいいのだが、なかなかうまくいくものではない。

少し前までと書いたのは、今では前に比べるとかなり自分に自信を持つことができている。
自分の頑張りを認められるようになってきた。

その1つのきっかけとしてエッセイがある。
エッセイを書くことによって自分の内面に深く触れ、そのことを客観的に捉えることによって他人の考えにもを向けるようになり、それほど自分自身はダメダメではないのではないかということに気がついた。

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ある時一度、友達以上恋人未満の人に今後関係を築いていく上で、最大の壁になりそうな私のコンプレックスを打ち明けてみた。私は恋愛経験が乏しいということを伝えた。
打ち明けながら、涙が出そうになった。

自分の意見を伝える時に不安になる気持ちと同じだなと頭片隅で思った。
私は恋愛経験が少ないことを本気で自分の弱みだと感じているようだ。

彼は親身に話を聞いてくれ、恋愛経験が少ないことは気にしないとまず言ってくれた。
なぜ恋愛経験が少ないままアラサーになってしまったのか聞かれた。

高校生までは部活を頑張っていて、大学生の間は、バイトと留学、就活とずっと忙しかったこと、そして社会人になってからはすぐコロナ禍に入ってしまったことを伝えた。
これまでまじめに目の前のことをがんばってきた結果だということではないかと言われた。
その理由ならしかたがないし、共感できるとさえ言ってくれた。

共感してもらえて嬉しいと思ったが、他人が弱気になりながら コンプレックスを伝えてきているのに、わざわざ否定する理由もなかったかなということも少し思ってしまった。
他人が感じているコンプレックスを知ったところで、ちょっとその人となりの核心に近づくことはあれど、寄り添う以外の手はないかなと思ってしまった。

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どうしても自分のコンプレックスとなると卑屈になってしまう。
恋愛経験が乏しいというコンプレックスを乗り越えるためには、恋愛経験を積み重ねることしかない。
まだまだ乗り越えるというまでは行っていないということを強く感じた。