私は、かわいくない女の子だった。

ゲジ眉、重たい一重、皺の寄るおでこ、ママが買ってくるダサい服。特に、自分の目が嫌いで仕方なかった。家族は、皆ぱっちり二重だった。

どうして、私だけ一重なの。写真にうつる私は、どうしてこんなにグレた顔をしているの。親に「なんであんただけ一重なのかね。橋の下から拾ってきたからかな」なんていじられるのも、本当はすごく嫌だった。

私は「ブス」なんだと思い、コンプレックスは大きくなっていった

かわいくておしゃれな女の子と並んだときに感じる劣等感、かわいくておしゃれな女の子が「かわいい」と言われているときの、自分だけ外されている感。直接「お前はブスだ」と言われた訳ではないのに、少しずつ自覚していく。なんとなく、“かわいくない側”なんだと。

小学生のとき、クラスの男の子たちから「バイ菌タッチ」の標的にされたことがある。小学生のいじめなんて、大抵は垢抜けてなくて気の弱そうな子が標的になるのだ。だから私は、確信した。「いじめられた私は、ブスなんだ」と。

中学生になってから、私のコンプレックスは消えるどころか大きくなった。自分の外見が嫌いすぎる故に、人見知りもひどくなった。私は、紛うことなき根暗なブスだった。

根暗なブスは、キラキラしている人達が苦手だ。私は特に、キラキラしている“男の子”が苦手だった。その象徴が、“サッカー部の男子”だった。

私は、彼らが怖かった。彼らは私に興味なんてなかったと思うし、私を根暗なブスだなんて思ってなかったと思う。結局、そう思い込んでいたのは自分自身なんだ。とんだ自意識過剰だが、それでも私には、彼らが私をバカにしているように思えて仕方なかった。

努力して「かわいい」と言われるたび、自信を持てるようになった

根暗なブスとして生きてきた私に転機が訪れたのは、大学に入学したとき。

髪を染めて、メイクを始めた。たったそれだけのことだったが、周りからの扱いが大きく変わった。それまでほとんど言われることがなかったのに「かわいい」と言われるようになった。少しずつ、少しずつ、私の中に小さな自信が積み上がっていくのを感じた。

私は、努力すればかわいくなれる。そう気付いたときから、不思議なことにメイクを落とした素顔まで変わっていった。

外見を整えると、卑屈な心も前向きになっていく。心根までポジティブになるのはまだ難しいけれど、根暗な私はもうここにはいない。

そして、昨年のことだ。私には年の離れた弟がいて、彼はサッカーをやっている。弟のサッカーの試合を観に行ったとき、チームの男の子が私を見て「カナタの姉ちゃん、めっちゃかわいい!」と言った。

そのとき、何かがほどけていく音がしたのだ。確かに頭の中で、聞こえた。

サッカー少年に「かわいい」と言われるほど、かわいくなれたんだ

小学生の些細なひと言だ。だけど私にとってそれは、ぜんぜん些細じゃなかった。私は、サッカー少年に「かわいい」と言われるほど、かわいくなれたんだ。もう、彼らを見て、小さく震える必要はないんだ。小学生の頃、自分の顔が嫌いで仕方なかった自分を、長い時間をかけて救えたような気がした。

鏡を見る。私と目が合う。変えたいところはたくさんある。それでも、自分の顔が嫌いだと鏡を殴ったあの頃から、ずっと努力してきた。コスメを買って、震える手で色をつけて、重たい一重をアイプチで二重にして、自分に合うカラコンを探した。そうやって努力して変わった自分の顔を、今は愛している。

外見なんて気にせず生きられる小学生時代を過ごせたなら、こんな風に苦しむこともなかったのかもしれないけれど。

鏡にうつる自分がかわいいだけで、幸せになれるのなら。私はこれからも「かわいい」をアップデートし続ける。