とにかく舐められやすいので、話しかけやすい先生を目指すことにした

わたしはとにかく、よくひとに舐められる。
昔からずっとそうだった。大学に入った頃のわたしは特にそうだった。鳥取というど田舎から出てきたばかりの、童顔で舌ったらずで動きがどんくさい垢抜けない女だった。舐められやすい要素のストレートフラッシュ。
舐められやすくて一番困るのは、先生という立場で生徒・学生に接するときだった。塾のアルバイトや、教育実習、専門学校や大学で非常勤講師として教壇に立ったとき。
普段は寝ない学生が、わたしの授業のときだけ寝る。おしゃべりを始める、宿題をやってこない。「どうせこの先生は怒ってもそんなに怖くないだろう」と舐めている空気が、びしばしと伝わってくる。
その通りだ。なんだかんだわたしが怒っても、そんなに怖い感じにはならない。威厳とか、風格とか、とにかくそういったものが不足しているのだ。
とはいえど田舎から出てきた小娘だった時代よりかは、少しだけ生きやすくはなっている。「ちょっとはひとに舐められにくいカード」として、学歴や、教員という立場を手に入れたからだ。見た目も少しは垢抜けた、つもりでいる。
けれど今の勤め先大学で勤務初日に学生から言われた言葉は、「新しい学生の方ですか?」だった。多少の武装を手に入れたとて、何となく威厳が足りない感じの童顔で舌ったらずでよく段差に躓く人間であることには変わりがないのだ。「ど田舎出の小娘」から多少ランクアップしたけれど、ランクアップ先は「何だか全然怖くない先生」なのだ。
この何だか全然怖くない感じ、言い換えるならば「この人はこっちを傷つけてこなさそう」という雰囲気が、ときどき相手の心を開くために役立つと気が付いたのは、大学院生のときだった。
大学院というのはちょっとした修羅の国なので、精神を病んでしまう人、もうそれで誰かと話すことすら怖くなってしまったような人が、ときどきいる。同期にもいたし、後輩にもいた。
けれどそういうひとが、わたしの前ではぽつぽつと悩みを話してくれたり、一緒に遊んで仲良くしてくれたりするということが何度かあった。わたしの「何だかこのひとはこっちを傷つけてこなさそうオーラ」は、こういうときには役立つのかもしれない、と気が付いた。
ならば無理をして「怖い先生」を目指すよりも、「何だか全然怖くない、話しかけやすい先生」を目指そうと決めた。そちらの方が性にも合っている。
授業を受け持つに当たって自らに課したルールは二つだけ。一つは、後半に問題演習の時間を取って、その時間に一人一人の様子を見て回ること。そしてもう一つは、学生が何を知らなくても、何をできなくても決して驚かないことだった。
「問題解けません」とふてくされたような顔で言う学生に対し、「よっしゃ、じゃあ一緒に解いてみるか」と言って一つ一つの問題を一緒に解く。それを繰り返していると、学生が少しずつ心を開いてくれることがある。そのうち学生から、「先生、この問題が難しいので教えてください」と言ってきてくれる。問題が解けるととても嬉しそうな顔を見せてくれるようになる。
そんな変化を見ていると、これまできっと彼らは「こんなこともできないのか」と言われ傷ついてきたのだろう、と思う。彼らは初め、分かりません、できませんと言葉にすることをひどく嫌がり、怯える。もうこれ以上傷つかなくて済むように硬く心を閉ざしている。
そうした彼らの心を、わたしは「わたしはあなたを傷つける先生じゃありませんよ」とノックする。そのときに、わたしの「なんかこっちを全然傷つけてこなさそうオーラ」は、大きなアドバンテージとなるのだ。
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