自分にだけは嘘をつかない。女だからと言い訳をしていたのは私自身だ

大学生になって、「女だから?」と思うことが増えた。「女だから……」と言い聞かせることが増えた。
私は女子中高一貫校で思春期の6年間を過ごした。少女しかいない空間にもはや性別なんてものはない。行事のリーダーも、クラスの人気者も、力仕事をこなすのもみんな女の子。学年で一番運動神経の良かったあの子も、理系クラスで一番だったあの子も女の子。
女しかいない世界では女であることはもはや特徴にすらならない。私はそんな空間を愛していた。男女平等だの過剰な配慮だの騒がれているガラスの外側を眺めながら、綺麗に整備された水槽の中でなんだってできる気がしていた。少女期特有の全能感なのか女子校マジックの結晶なのかはわからないまま、未来に希望を抱いて私は、セーラー服を脱いだ。
女子大に入ったものだから、大学生になって共学に通い出した友人が女子の無力さを愚痴っても、あまりわからなかった。そういうものなんだ、変わっちゃったんだと他人事のようにその話を聞き流していた。
けれど2024年、大学2年生になった私は周囲と1年遅れて無力さを感じることとなった。
私は1年生の時から中学受験でお世話になった塾で塾講師として働いている。1年生の時は補佐の仕事しかなかったが、進級し念願の授業を持てることになった。中学受験を控えた小学5年生の国語の授業である。小学校時代からお世話になっている上司兼恩師も応援してくれ、期待たっぷりに挑んだ授業。現実はそううまくはいかなかった。
私が講師になってから1か月。塾に1本のクレームが入った。
「娘が小学校の女の先生とあまりうまくいかなかったことがあった。女の先生だと不安なので変えていただきたい」という内容の電話だった。
私の担当の生徒だった彼女は私に懐いているようにすら感じていた。けれど保護者からの電話だから仕方がない。そう思ってその子がクラスを移動するのを見送った。
そうして最初はトラブルもありながら1人だけで行う授業にも慣れてきたころ、次の問題が起きた。
ある1人の男の子が私の指示を全く聞かず授業にもろくに参加しようとしないのだ。社員にも相談したりしたが、私以外の男の先生が入るとその子は途端に静かになる。私の言うことは聞かなくてもいい。怖くない。そう、舐められているのだと気づいた。女だからかな……と思った。威厳がある声が出せない。怒っても怖くない。説得力もない。
だからなんだ。と思った。だからしょうがない。向いてないんだ、と。
それでも恩師に泣きついて、アドバイスをもらって愚直に試していったら、最初こそ無理だったけれどどんどんクラスの空気はよくなっていった。子供に舐められてしまうわたしだけど、子供と目線を合わせてしゃがめる私だから、出せる威厳だってあった。そしてそのうちほかのクラスに代わっていったあの子も戻って来た。
年末、夏までとはすっかり違う雰囲気になったクラスでの授業を終えた帰り道、私は思った。女だからだと言い訳していたのは、むしろ私だったのかもしれない。
もちろん、サークルの代表は今年も男の人ばかりだった。女性議員の議席数だって劇的に増えたりしないし、今日もSNSではフェミニズムがやり玉に挙げられている。
世界は何にも変わらないけど、自分だけには嘘をつきたくないと思った。
2025年、女だからを言い訳にはしない。女だからこうなれた、私だからこうなれた。そう胸をはって笑える1年にしたい。
セーラー服の私の目をまっすぐに見られるように。
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