新生わたし、あけましておめでとう。
また一つブランドを捨ててわたしの2021はスタートした。
21歳。わたしの人生を飛躍させる年にする
初めて自分の価値が変わったことに気づいたのは、高校卒業目前。JKブランドの失効期限が迫っていた。
なにか提言すれば「高校生の声」として評価され、制服という名の進学校の誉を纏って街中を歩き、カラフルなフェイスペイントをして「ぷりんと倶楽部」のタグをつけた投稿にはいいねがとめどなくついた。
それがなくなる。自分の意見を発信して必ず評価されるにはどうすれば良い?
「参加条件:高校生まで」の文字が並ぶコンクールに溜息。
大学生の「制服ディズニー」のタグをつけた投稿を見ては現役ではない側に行くことに怯える。塾帰りに化粧してプリクラ撮ることもなくなるのだ。
というか、化粧することが当たり前で、化粧していないと非常識で、化粧しない方が可愛いのに~とは言われなくなるのだ。
成長して進学しただけで自動的に私についたブランドを、桜の咲く季節には制服と同時に脱ぎ捨てた。
順調に大学生になって、意外と自分に値引きの札が貼られていないことに気づく。
十代、上京、新大学生、まだ自分についたブランドを知った。
子供と大人の真ん中だ、なんて言われながら耳を傾けてくれるひとを探せば苦労せず見つけられた。
しかし、今度はたった2年で失効期限がきた。華々しい成人の振袖を着て、ああもうこんな赤色のお着物を着ることはないんだわと儚く終わった十代に別れを告げた。
そうしたら、今度は「二十歳」に価値がついた。新成人は文字通りもてはやされた。
なるほど、ここが分岐点か、と思った。自動的につくブランドは今年が最後だと悟った。
だが二十歳のわたしは一味違った。その価値を存分に高めて効力を発揮させて、今後の人生のロイター板にしよう。失うことに怯えてそのブランドを楽しまないなんて損。
普通の二十歳になってたまるか。わたしの人生を飛躍させるための一年にする。
だってまだ二十歳だもん。全力に素直に我儘に生きるの
わたしが二十歳をどう過ごしたかというと、沢山のひとと出会って、沢山のひとと話をして、沢山のひとの言葉を吸収した。
シェアハウスに飛び込んでひとに会わずして生活できない環境に身を置いた。
コスメカウンターではBAさんの話をきちんと聞いて購入すると自分に似合う新しい色に出会えたし、TUしていただいて恥ずかしくないようにスキンケアも入念になった。
本は365日欠かさず一日一冊読んで、コロナで無くなった通学時間にはSNSで世論の情報摂取。
二十歳の目線です、と言って多くのひとと意見を交わしてみたらこんな小娘の意見を面白いと思ってくれる方が結構いることに気づく。
田舎では普通だったことも東京でしてみた。例えば運転手さんに聞こえるようにお礼を言ってバスを降車してみたり、商店街のおじいちゃんと仲良くなってみたり。
恋をしたときは、伝わらない片思いよりマシだと鬱陶しがられる不安を投げ捨てて、全力で貴方に恋をしています! と言わんばかりに思い人に好き好き言いまくった。
だってまだ二十歳だもん。全力に素直に我が儘に生きるの。
自分の価値を自分でつける。それが今年のわたし
東京のひとは冷たいなんて言うけれどそんなことなかった、勝手に田舎と東京を区別してわたしがひととの距離感を変えていただけ。それに気づいた二十歳。120点。
2020、年の瀬に誕生日を迎え、晴れやかな気持ちで2021にこんにちは。
99年生まれ、21歳、年号の下二桁と一緒に成長中。
今年の宣言は、ただひとつ。新しいブランドを自分でつけること。
だって21年生きてきて初めてのまっさらなキャンパス。用意されたキャンパスは真っ白ではないけれど、今までの人生色をベースに、自由に絵の具をのせられる。
これまで備わったブランドは、普通に生きていれば自動的についたもので、不特定多数にとって共通のものだった。でも、今度は唯一無二のブランドを見つける。
一生値引きシールなんか貼らせない。わたしの人生はやっと始まったの。
全力で好きなことをして、全力で落ち込んで、全力で怠惰なこともして、全力で人と向き合って、全力で大学最後の年を謳歌して、全力で恋をして、全力で馬鹿やって、全部全力の先にわたしの価値が見えてくる。
自分の才能を自分で選ぶ。自分の価値を自分でつける。それが今年のわたし。
初めまして、2021。存分に楽しんで生きていくから宜しく。