「変わった」子と有名な私。留学先で「変わり者」は褒め言葉と知った

小中学校時代、私は少し「変わった」子と有名だった。自分にとっては普通の意見を口にすると、周囲のヒソヒソと笑う声が聞こえた。どうやら私の世界観は受け入れられないらしい。学級という閉鎖的な空間では、なるべく「皆と同じ」でいることが求められていたのだろう。私は異端児のように思われたけれど、今振り返ると、私の価値観は唯一無二で、ユーモアと独創性にあふれていた。普通から解放されると、世界はとても生きやすく感じられる。
当時は、「変わっている」という自分の弱点に絶望することもあった。普通に生きられない自分が悲しく、集団の枠に固執する人たちの習性を情けないとも思った。授業中に意見を言うたびに笑われるのが怖くなり、心の中で自分を押し殺すこともあった。
けれど、今ではその「弱点」は私の強みだ。私は自分の軸を持ち、価値観を大切に生きられる。そのおかげで、相手の意見も尊重できるようになった。昔の私は、「普通になる能力が足りない」と自分を責めることもあった。誰かに合わせることができない自分を、欠陥品のように感じていたのだ。しかし、世界を知る経験が、その考えを大きく変えてくれた。
高校生のとき、アメリカにホームステイに行った。ホームステイ先では、ホストファミリーや現地の学生と自由に意見を交わすことが求められた。最初は緊張して何も話せなかったけれど、少しずつ自分の考えを口に出していくうちに、意見を言うことが楽しくなった。
アメリカサイズの食べ物には全く慣れなかったけど(笑)、大学生ではイギリスに留学し、多国籍な仲間たちとディスカッションを重ねた。ゼミでは国際協力を学び、フィリピンのスラム街で現地の人々と交流するフィールドワークも経験した。立ち退き勧告の出ている地域で、人々が日々どのように暮らしているのかを目の当たりにしたことは、私の価値観を大きく広げた。
そういえば、イギリス留学中、まだ英語に自信がなくて黙っていたら、サウジアラビアの学生に「Say something」と注意されたこともある。拙い英語で自分の意見を伝える日々は、最初は怖くもあったけれど、自分の思いを表現する楽しさに変わっていった。意見を言えば必ず理由を聞かれ、逆に相手の考えを聞き返すこともあった。そのやり取りの中で、自分の中にあった考えや感情がどんどん湧き上がってきた。日本にいたときのように「周囲の目」を気にすることはほとんどなく、ありのままの自分でいられる居心地の良さを感じた。
その経験を通して、私は「普通であること」にこだわらなくなった。むしろ、自分の意見を持つこと、他人から見れば変わっているかもしれない自分を誇りに思えるようになった。28歳で大学をやり直すポーランドの学生、毎日髪を洗わない先生、丸ごとりんごをかじる同級生たち…。彼らの個性に囲まれる中で、私の「変わり者」は褒め言葉に変わったのだ。少しだけ世界を知ったことで、私のコンプレックスはアドバンテージになった。
コンプレックスを抱えていたあの頃の私も、今の私も、自分の価値観を大切にして生きることで、世界を広げられている。弱みと思っていたものが、視点を変えれば最大の強みに変わるのだと知った。今では、他人と同じでなくても、自分の意見や個性を大切にすることが何よりも心地よい。私にとっての「変わり者」は、私の生き方そのものを象徴する言葉となった。
この経験を通して学んだことは、コンプレックスは隠すべきものではなく、磨くことで自分だけの強みに変えられるということだ。弱みを強みに変えることは、決して特別なことではなく、日々の選択や挑戦の積み重ねで可能になる。
私の「変わっている」という特性は、今では自分の人生を豊かにする大切な資産だ。だから私は、自分の意見を持ち続け、世界の広さを感じながら生きることを大切にしている。これが、私の「コンプレックスをアドバンテージに」する生き方だ。私は、自分のことを心から愛している。
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