ほぼ毎日のように送ったラブレター。他人にとって負荷になっていたなんて

手紙を書くのが苦手だ。正しくは、つい最近まで苦手意識があった。その苦手意識の根源となる記憶は、幼稚園時代までさかのぼる。
あなたはラブレターを書いたことはあるだろうか。人に好意(主に恋心)を書き伝えるアレである。惚れっぽさと夢みがちな思考を兼ね備えた私は、ラブレターを書くことについて、恐ろしいまでに抵抗がなかった。改めて文字にすると胃が捻じ切れそうなくらい恥ずかしいのだが、どうやらほぼ毎日のようにラブレターをしたためていた、らしい。
そんな幼稚園当時、あわれにも私のラブレター攻撃の餌食となった男の子がいた。仮にAくんとする。彼とのやり取りこそ覚えていないが、それにかかわることで痛烈に残っているのが私の母からの一言だ。保護者会の後日、母は言った。
「Aくんのお母さんに『たくさんお手紙をもらっててちょっと困ってるの』って言われちゃった。ママ、とっても恥ずかしかった」
人生の中でも、思い返すと死にたくなる記憶TOP3に入るんじゃないだろうか。
昔から文章でのアウトプットは苦でなかったし、文章が下手なつもりもなかった。だから余計に、自分の心をさらけ出した文章が他人にとって負荷になっていたことも、その内容が第三者に漏れていたことも、母に「恥」として扱われたことも、全てが思いがけず、言い知れないショックに襲われたことを今でも覚えている。体の中のネガティブな感情が絡み合って、心の底にこびりつくよつな「嫌な記憶」に成り果てていた。
その後の人生でも、サークルの引退時に後輩へメッセージを書いたり、教育実習のお礼状を出したりする機会はあった。それでも、書いた内容を思い返すと顔から火が出そうな気持ちになるばかりで、「手紙を書く」ことは私の中でなるべく避けたい行為に位置付けられていた。
転機が起きたのは、ここ2〜3年のことだ。観劇が趣味の私に、人生の恩人とも言える「推し」の俳優ができていた。出会いこそ遡れば6年ほど前になるが、手紙を書いたことは一度もない相手だ。いまだかつてなく魅了された人なこともあり、このぐつぐつ煮え凝ったような思いを書き出すには、ためらう要素しかなかった。
それでも筆をとってしまったのは、彼への信頼もあったのかもしれない。感謝の念を伝えるべく、彼の誕生日時期にかこつけて、プレゼントと共に送った手紙は、封筒がしっかり重みを持つほどの厚さになっていた。
後日、SNS無精な彼がInstagramのストーリーを更新した。上げられた写真の中に、私が送ったプレゼントが並んでいた。それはつまり、同封した手紙が受け取られたことと同義だった。「お手紙、プレゼント受け取れました。いやもうめちゃくちゃ嬉しい…ありがとうございます」
小さく添えられたテキストの末尾に、丸い顔が号泣する絵文字がついていた。いつになく感情的な、更新。
素直に書いた好意を、こんなにすてきに受け止めてもらえることってあるんだ。
私の手紙やプレゼントだけのことではないとわかっていながらも、スマホを握りしめながら、ほかほかとした心地が胸を占めていた。崖の上から落としたたまごを、初めてキャッチしてもらえたような気分だった。しかも、どうやらそのたまごは美味しく食べられて栄養として消化してもらえたらしい。それは私にとって、願ってもないような幸福だった。
それからというもの、推しへのファンレターはもちろん、友人の誕生日に手紙を書けることが増えた。身近な友人にこそ改めてお手紙するのはなかなか気恥ずかしいような気もしたが、いざペンをとってみればおもしろいように感情を紡げるもので、日頃の感謝からくる涙と共に、言葉がほろほろと連なるのだ。
手紙を書くのは、やはり私にとっては心の深いところを見つめ直す作業だけれど、昔よりはずっと怖いという気持ちは薄れていた。
それでも手紙を書き出すのが遅くてイベント前日に慌てるのは、苦手意識のせいではなく、私元来の怠け気質のせいだったらしい。
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