夏になると、私はいつも、1人で日本を飛び出した。
私は日本で生まれ育ったし、日本は居心地がよかったけど、いつもちょっとだけ息苦しかった。高校に入学してすぐ母が病気で亡くなって、家にもどこにも、自分の居場所がないような気がした。日本にいると、いつも誰かに見られて、ジャッジされているような気がした。
だから、夏になると、私はいつも日本を飛び出して、世界中のいろいろな街に出かけた。

母の死後、悲しみに共感できる人と出会える気がして、初の一人海外へ

最初は、母が亡くなってすぐ、高校1年生の夏休みに行った、イギリスだ。遠くに行けば、誰か、この悲しみを分かってくれる人に出会える気がして、日本を飛び出した。
参加したサマースクールには、世界中から同年代の学生が集っていた。タレントショーでピアノを披露して、一気に友達ができた。たどたどしい英語でも、会話して、笑うことができた。
私もまだ笑うことができるんだ、と思った。少しだけ、自分を取り戻した。

高校2年生の夏は、カナダにいた。1年前に行ったイギリスが楽しくて、もっと英語を勉強したくて、本格的に留学したいと思ったから。それに、日本の外にいると、悲しい過去から切り離された、新しい自分になれる気がした。
1年間住んだ、ビクトリアという街は、大変に美しい街だった。中古で買った自転車を乗り回し、日本の地元よりもずっと詳しくなった。友達を作るために、合唱、ブラスバンド、クロスカントリーと、色々なクラブに参加した。慣れない英語で、勉強もがんばった。

私の意思を尊重し、支えてくれる父の応援もあり、スペイン留学へ

大学1年生の夏は、スペインに行った。高校時代、カナダで一番仲良くなったのが、メキシコからきた留学生の女の子2人だった。時々出てくる二人のスペイン語の会話に入れないのが悔しくて、大学に入る前から独学でスペイン語を勉強していた。
もっとスペイン語を磨きたくて、自分で留学代行会社を探し、留学カウンセリングに行って、スペインに行きたい、と父にお願いした。

そういう時、父はいつも、「まあ、やりたいなら、やればいいんじゃない?」と、決して積極的な応援ではなかったけれど、私のやりたい、行きたい、という意思を尊重してくれ、支えてくれた。
友達に言うと、毎回驚かれた。よく行かせてくれるね、と。一人娘で、絶対心配なはずなのにね、信頼してくれてるんだね!と。
私に言わせれば、一人「娘」なのは関係ないと思うけれど、でも彼らの言葉は正しいと思う。私の意思を尊重し、信頼してくれた父には感謝している。

話は戻る。大学生の夏は、スペインに行った。マドリードでホームステイしながら、語学学校に通った。
そこで世界中の、同じようにスペイン語を勉強している人たちと出会い、語りあった。語学学校の授業がない週末は、1人でスペイン各地を旅行した。セビージャ、トレド、グラナダ、セゴビア、グラナダ、クエンカ、コルドバ。それらの街は、世界中から集まった観光客で溢れていた。さまざまな言語が飛び交い、人々は夜遅くまで、ワインを片手に、楽しそうに語り合っていた。
みんな、人生を楽しんでいた。私も、こんなふうに楽しく生きていいんだと思った。

旅先では、世界中からきた人々との出新しい出会いがいつもすぐそこに

マドリードで出会って友人になった人と一緒に、バルセロナにも行った。夢にまで見た、サグラダ・ファミリアから歩いてすぐのところにあるホステルに泊まって、滞在中した5日間、朝も夜も、サグラダ・ファミリアを見に行った。
入場券は高かったから、中に入った1日は、朝から晩まで、ずっとそこにいた。一人ぼっちで言葉に出さない分、その時に感じた圧倒的で神秘的な美しさを、大切に、大切に、自分の心にしまうことができた気がした。

バルセロナからパリに飛び、カナダで出会ったもう1人の大切な友人と再会を果たした。彼女は、ドイツの出身だ。パリのアパルトマンに2人で一週間住んだ。スーパーマーケットでおいしいチーズを買いこんで、一緒に食べた。

大学2年生の夏を過ごしたのは、ペルーだった。もっとスペイン語を磨くために、クスコの街にホームステイして、語学学校に通った。
そこでも、世界中からきた人々との新しい出会いがあった。スペイン語を勉強し始めるきっかけを作ってくれた、メキシコの友人2人がペルーまで来てくれて、再会を果たした。スペイン語で会話をすることができて、本当にうれしかった。
途中で父も合流して、父と、メキシコの友人と一緒に、ずっと行きたかったマチュピチュにも行った。さまざまな偶然がなければ出会うはずのなかった人たちとの、なんだか不思議な旅行だったことを覚えている。

夏が来ると、日本を飛び出した。その経験と自信が私を動かし続ける

大学3年と4年の夏は、アメリカだった。大学の交換留学プログラムで行った、カリフォルニアだ。それまで楽しく学んでいた英語が、「できて当たり前」で、「できないと自分に劣等感を与えるもの」になってしまい、苦しい1年間だった。
でも、そこでも、世界中から集まった人々との色々な出会いがあった。勉強をして、恋をして、たくさんの知らない世界を見た。毎日のように大量の課題に泣かされていたけど、まさに青春そのものだったと思う。

自分の心にぽっかり空いてしまった穴を埋めたくて、もっと広い世界を見たくて、自分の居場所を見つけたくて、私は夏が来るたびに、日本を飛び出した。
行った先々で感じた、震えるほどの刺激と興奮と、世界の圧倒的な広さと、どんな場所に行っても自分はやってこれたという自信が、今も私を動かし続けている。