2018年8月。大学3年生だった私は、オーストラリアに留学していた。2ヶ月半の語学学校を修了した後、現地の大学で現地の学生と大学の授業に参加するというプログラムだった。
オーストラリアに来てから4ヶ月程が経っていたが、まだまだ現地の授業についていけるほどの英語力はついていなかった。それでも、落ちこぼれてしまわないように、教科書を読み込んだり課題を夜遅くまでやったりと、予習復習に何時間も費やす日々を送っていた。
しかし、予習復習だけでは上手くいかないのが外国の大学だ。毎週必ず、講義に加えて学生同士のディスカッションの時間があるからだ。

私が履修していた授業は社会問題を扱っていて、ディスカッションの時間には学生たちが自分の意見や考えを出し合い、ともに理解を深めていく。皆が話す英語の速さと、次々に広がっていく話題に着いていけず、内容の3割ほどを理解するので精一杯だった私は、もう3回目のディスカッションだというのに発言したことがなかった。
オーストラリア国内の時事問題はもちろん、アメリカやイギリスでの出来事が話題に挙がることもあった。だけど、日本のニュースを語る者はいなかった。

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ある日、ジェンダー問題が話題に上がった。
留学前に日本でジェンダーの授業を受けていたので、ジェンダー問題への関心と知識はあった。それに、日本では、ある大学の医学部入試で女子受験生が一律減点されていたというニュースが世間を騒がせていた頃だった。

この時代になってもなお、夢に向かって努力を続けて来た女性の未来が、あまりにも公正でない方法で潰されてしまっていたこと。考えれば考えるほどに怒りと悲しさが溢れ出して来て、私はそのとき初めて伝えたいと思った。伝えなきゃいけないとさえ思えた。
そう思った途端に、鼓動が速くなった。
どう伝えたら伝わるだろうか。文法は間違いなく言えるだろうか。どんな単語を使えば良いのだろうか。発音はおかしくないだろうか。片言の英語で笑われないだろうか。数えきれないほどの不安が一気に私を襲った。

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周りの学生からの発言に耳を傾けつつ、頭の中で英文を組み立てた。文法、単語、発音など、自分に備わっている全ての知識を総動員して考えた英文を、何度も何度も頭の中で確認した。「大丈夫。伝わる」と自分に言い聞かせ、発言のタイミングを伺った。周りの学生はいつも通りテンポ良くディスカッションを続けている。手が震えていた。
そのとき、話の流れに一瞬の間ができた。今がチャンスだと脳が反応した。

けど、結局言えなかった。
もっと英語が堪能なら、自信を持って言えたのだろうか。もっとそのニュースに関して隅々まで知っていたら、自信を持って言えたのだろうか。
言えなかった理由は、はっきりとは分からない。ただ、私に残されたのは悔しさだった。
日本で起きた女性差別問題を、私がオーストラリアの学生に伝えることで、何かが変わるとは思わない。けど伝えられないよりは伝えられる方がいいと思った。

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悔しさをバネにして私は変わると決心した。
ディスカッションでは発言できなかった後悔よりも、発言して間違える後悔の方が何十倍も良いと信じて、積極的に意見を言えるようになった。ジェンダー問題に関しても、いつどこで話題に上がっても良いように猛勉強した。
猛勉強したら、世の中にはまだまだ解決すべき問題がたくさん残っているのだと日々気づけるようになって、こんな自分にも世の中を変えることができるかもしれないと思えた。

あの時言えなかったあのニュースが、私の人生を変えたと言っても過言ではない。
教師としてジェンダー平等を伝えている今の自分があるのは、ニュースを読んで、感情を揺さぶられ、伝えなきゃと使命に駆られ、でも伝えられず、悔しさからジェンダー問題と向き合う決心をしたという一連の経験のおかげだと思う。
私は一生、このニュースを忘れないだろう。