「ガラスの天井」を「ガラスの靴」より多く聞くのは大人になったから?
私は深く傷ついていて、この世界は女にとって、全身を針で刺されているように苦しく感じる。これまで、苦しいことにしていなかったから、苦しくなっただけで、苦しいことを認めはじめれば、全てが苦しくなってくる。女の子が自尊心を失うことなんて、この世界では簡単なことで、私たちが自分の一挙手一投足に自信を失うことなんて、朝飯前だ。容姿、声、性格、"あるべき"姿からのギャップ、女としての身体を持っていることで、一度も傷ついたことのない女性はとても少ないのではないかと思う。
この世界で自尊心を失わないように生きることだけで、私たちは未来を切り拓いているのではないか、と思うことがある。私たちは、現状、男性がまなざして構成した世界を生きていて、女のまなざした世界の話はいつだってそれより小さく扱われてきた。私はそのことを悔しいと思う。こんなことくらい、笑ってゆるしてしまおうか、と思う時、場の空気を損ねたくない、という気持ちが働く。それに加えて、自分が傷ついた、損なわれた、認めることが苦しいからではないかと、気がついた。いざ、「これはおかしい!」と、傷つきはじめたらきりがなくて、この世界で生きているだけで、おかしくなってしまいそうになることがある。
「お前はそういうのじゃないから」と言われながら触れられた胸とか、自分の能力を示したいとばかりに心のない口説かれ方をして不意に握られた手とか、向けられた粗野な言葉とか、そういうものを笑って誤魔化すたびに、私の何か、大切なものを削られていくような気持ちになる。ハロー、少女の頃の私。まだ、お姫様とか、魔法少女になりたかった頃の輝きを思い出せますか?魔法のコンパクトは、くすんでいませんか?
大人になってからは、少女の頃には信じられなかったことばかりが起きます。こんな歪んだ世界で大真面目に生きているくらいなら、おひめさまとか魔法少女になりたかった頃に見ていた世界の方がよっぽど、まともに思えてくることがあります。私はまだ、この歪んだ世界で生きていくより、おやくそくをきちんと守るから、なれるものなら、おひめさまや、魔法少女の方がよっぽどなりたいです。夢見がちでしょうか?優しくて、きれいで、公正な世界を夢見たらダメでしょうか?
なぜ、私は、まっすぐ生きているだけで、私以外の要因に傷つけられなければいけないのだろうと思うことがあります。小学生の時に露出狂に遭ったことがあります。大人になってからも遭遇したことがあります。
子供の頃夢見たヒロインの世界とは違って、この世界では、女というだけで、何かの役割や、眼差しを向けられ、欲や期待の対象にされる。性欲の、加害欲の、支配欲の、ケアを要請する対象。
私は、私の話を、今の社会に聞いてもらえていないと感じます。私をまなざしている側の人たちの期待で、私を語られてしまう、解釈されてしまうことがあり、私の語りがそこから逸脱すると、不機嫌な顔をされる。そんなことだらけです。魔法はまだ使えますか?
自尊心を守りたいんです。
おひめさまか、魔女っ子になる予定だったのに、まったくもって現実の29歳の私を生きています。日々、心を美しく保っていたら、使い魔が現れて、変身できるって聞いてたのに、おかしいな、と、本気で思っています。幼い頃、大きくなったら、こんな女の子になりたい、と思う女の子たちのロールモデルが私には居ました。漫画やアニメの中に、テレビに映るアイドルやタレントの中に。そういう女の子たちがいました。モーニング娘。に、入る予定でした。
思春期を超えて、大人になって出会う世界に触れるたび、私は、胸が苦しくなる。息をしているだけで苦しくなる時があります。耐えられない時があります。あとどれだけまっすぐ生きていけばいいんだろう、と思います。この世界には、王子様などいなくて、そんなことはとうに諦めたから、お願いだから踏み潰さないでくれ、と思います。そう思ってしまうことがあります。
「ガラスの天井」という言葉の方が、「ガラスの靴」という言葉よりも聞いたり意識することが増えたのは大人になったからでしょうか?現実は本当に、苦しくて、なにひとつ平等ではないと思います。文章を書いたり、縫い物をしたり、料理をしたりしていると、落ち着きます。その中には、絶対的な正義があるから。諦めたくない。私はまだ、かつて信じたヒロインたちのようにになれるかな、と思う。
どんなに、外側の世界が虚しいものでも、あきらめないで、生きていきたい。どう考えたって悔しくて、どう考えたって、私たちはもっと大切にされるべきだ。時に、何もかもが変わらないように思える世界で、私だけが変わらずにいれば、何かを変える日が来るだろうかと思う。私は変わらない、社会が変わるんだ、と、強く強く思う。

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