どうやら上司の異動が決まったらしい。
「一応まだ内密に」と、社長から呼び出されて戻ってきた上司本人からそう伝えられた。

私が所属している課の社員は全員で3人。今回異動することになった40代の次長と、昨年入社したばかりの50代の男性社員、そして私だ。

私は入社して4年目になるので、昨年入社した50代の社員に日々仕事を教えている。だから次長がいなくなったあと、私に降りかかる責任や業務量が増えることは目に見えていた。

次長もそれが分かっていたから、私にだけこっそり異動することを教えてくれたのだと思う。「ついに私にも昇進の話がくるのか…!」なんて、私はこれから起こるであろう変化に大きな不安を抱きつつ、ちょっぴりドキドキもしていた。後日、想像していた通りに社長室から呼び出しの電話が鳴った。

呼び出されたのは50代の「後輩社員」の方だった。社長から直接次長の異動の話をされ、軽い面談をしたのち1時間ほどして戻ってきた。
そしてそれから、社長室からの電話が鳴ることはなかった。

◎          ◎

こうして私の昇進の可能性はあっけなく散った。
この状況をマンガに例えるなら、冷たい風が枯れ葉と一緒に「ヒュー」っと私の前を横切り、頭の上には縦線3本と「ガーン」の文字。自分だけ取り残されているような、まさにそんな感覚だった。

50代のその社員が、前職で管理職を経験していることは知っていた。社長としてはそれに期待した方が無難だと思ったのだろうか。
私の存在は社長の眼中には全く入っていないのだなぁと考えているうちに、昨日まであった昇進へのドキドキの火は消え、唖然とした気持ちの中に、今の状況に対する疑問と少しの憤りが混ざった、より熱い炎へと姿を変えていくのを感じた。

女性の社会進出や賃金についての問題なんて、どこか遠い世界の話だと思っていた。まさか私にもその不平等さを感じる日がくるなんて。

後日、社長と面談をした50代の「後輩社員」は今のポジションでいることを選んだので、結果として以前私たちと同じ部署にいた別の社員が課長として戻ってくることになった。
「私も役職がほしい」。最後までこの一言は誰にも言えなかった。

◎          ◎

当時の私は、ブランクのある課長に業務内容を共有しながら、後輩社員のサポートをしつつ、パートさんのメンタルケアをする日々に追われていた。
心がすり減りそうな毎日を過ごしていると、自分がどこにいて何をしたいのかが忙しさの中で埋もれてしまうような感覚になった。

それでも自分を見失わずに立っていられたのは、「書く」ということがあったから。
特に、かかがみよかがみでエッセイを書くということは、私にとって自分で自分の声を聞いてあげられる大切な手段の一つだった。

実はこれも、かがみよかがみでエッセイを書き始めた頃に書き溜めていたものの一つである。だけど上手く言葉にすることができなくて、ずっと下書きのままになっていた。
今回このサイトの閉鎖を知り、私は最後にこのエッセイを完成させることにした。
なぜなら「書く」ことが現実世界にも連鎖して、自分の言葉で意思を伝えることができるようになったから。

◎          ◎

私は今年、昇進した。あのとき言えなかった「役職がほしい」の一言を、私は会社に伝えることができたのだ。エッセイで自分の気持ちを言語化することで、人に気持ちを伝えるハードルが低くなったのかもしれない。それに私は、ここでエッセイを書いている人たちのことを、それぞれ事情は違えど現代社会のモヤモヤと戦う仲間のように感じ、勝手に勇気をもらっていた。

私が人事に昇進の打診をしたとき、担当者からこう言われた。
「最近新聞で“女性の昇進希望者が減少している”という記事を読んだこともあって、サイトウさんに声をかけるのをためらっていた」と。
男だからバリバリ働きたい、女だから仕事はそこそこにしたい、これは男女の話ではなく、“一生懸命働く人”と、“ワークライフバランスを大切にする人”の話でしかないと私は思う。

私が社会を変えようとメッセージを届けたい「誰か」は、実はずっと、私の身近なところにいたのだ。

1匹の蝶の羽ばたきが、竜巻を起こす可能性を持っているかもしれないように、私たちの小さな行動の1つ1つがいつかどこかで同じように戦う女性たちの力になるかもしれない。
このエッセイも、社会を動かす小さな波動になりますように。
私は性別や学歴など関係なく、誰もが自分の仕事に誇りと責任をもち、それがきちんと評価される社会になっていってほしいと思う。
だからこそ私は、これから先も「書く」ことの可能性を信じたい。