「私は変わらない、社会を変える」。
このコンセプトは、暗闇に灯る小さな灯りだった。灯りを頼りにエッセイを書く時、私が守ろうとしたものはささやかな矜持だった。

「ありのままの自分を愛したい」「『自分で選ぶ』を大切にしたい」「名字を変えず生きていきたい」「死にたくなる飲み会には行きたくない」。私が1500字にしたためてきた願いは、ワガママだっただろうか。世代や性別、生きてきた環境により、ワガママに見えただろう。「私は変わらない」を掲げる姿は、後ろ向きで交渉の余地がないように見えたかもしれない。そう捉える人がいてもなんら不思議ではないが、一個人の体感としては、ただ、私が私として生きるために、自分で自分を損なわずに済むように、小さな灯りを必死に守る、震える背中だった。

反射で「嫌だ」と言えない人には、心に生まれたモヤモヤと向き合う時間が必要だった。何を思い、何に傷ついたのか、ひとりぼっちで向き合い、心の奥深くへ潜っていく。海底に眠る引き出しを開けると、やっと本音をすくい上げられるのだった。
そこまでしてようやく、思考を前に進める力が働いた。ひとり暗闇と対峙する時間を不健康に思う日もあったが、そうしなければ乗り越えられない夜が何度もあった。そんな夜に、「私は変わらない、社会を変える」は寄り添ってくれた。道標だった。

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しかし、今。灯りであった「私は変わらない」が、少しだけ意固地に見える。

なぜなら、変化することの喜びさえ、エッセイを書くことで知ったからだ。
初めてエッセイを書いたのは6年前。新卒3か月で仕事を辞めた時のことだ。「3か月で辞めた」なんて、友人や家族にさえも言えなかった経験を吐き出すために書いた。それから6年、エッセイを書いては投稿し続け、昨年1冊のZINEにまとめた。

ZINEを作るまで、創作活動をしていることは誰にも言っていなかった。心の1番内側をさらすことを、恥ずかしいと思っていたから。しかし、ワークショップやイベントに参加すると、どうしてひとりぼっちで書いてきたんだろうと疑問に思うほど、素敵な出会いに恵まれた。創作を介した人との出会いは、出会うべき人たちに出会ったような感覚があった。創作を続けていたら、私の居場所を少しずつ増やせる。そう確信している。

感覚としては、「自分がちょっと息をする場所を変えたら、社会がずいぶん変わってくれた」感じ。「変わらない」ことは私を守るために必要だったが、一方で、私を制限してしまうのかもしれない。自分の心が踊る方へ、歩きたい方へ手を伸ばすことは、こんなにも人生を豊かにしてくれるものだったのかと愕然としている。

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今の私は、「私は変わらない」を、少しだけ意固地に思えている。
この事実を抱きしめて、かがみよかがみと共に歩んできた6年間に思いを馳せる。「私は変わらない、社会を変える」が意固地に見えるのは、私が、私自身の力で、息をしやすい環境で過ごす時間を増やせたからだ。

それだけではない。私だけの力ではないのだ。卒業していったかつての20代女性へ、感謝が溢れて止まらなかった。この数年で、社会は20代女性にとって幾分か生きやすくなった。

かがみよかがみのサイトに掲げられた主なテーマは、恋愛、キャリア、見た目、コミュニケーション、家族。どの分野においても、「多様性」が大旗を振る世界になって久しい。「みんな違ってみんなどうでもいい」が蔓延する世界で、自分の陣地を必死に守ったり、主義主張を声高に表明したりする必要が薄れつつあるのではないだろうか。

個人的な体感ではあるが、セクハラ寸前な言動には老若男女問わず苦笑いをするようになったし、美醜のジャッジはウケ狙いでも禁じられた。あなたはあなた、私は私が浸透した結果、「私は変わらない」が意固地に見えるのかもしれない。

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私が今の時代を生きやすいと思えるのは、ほかでもない、かつて20代女性だった先駆者たちが、声を上げ続けてくれたからだ。彼ら・彼女らの失望と、社会で生きることを諦めない姿勢が今の社会を築いている。誰かの忍耐の上に生きていることを、忘れたくない。
そして、「みんな違ってみんなどうでもいい」世の中でも、あとに続く20代女性のために声を上げたいことはいくらでもある。いくつもの足跡が残る道の上に立つ私が、これからの道を作るのだと思う。

1年半後に、30歳の誕生日が来る。かがみよかがみを卒業する時には、20代を総括するようなエッセイを書くつもりだったのに。ここで出会った人たちの願いがひとつ残らず叶うことを祈っている。一度は分岐する道の先で、また肩を組める日がやってきますように。