チューニングがずっとあわない。19歳のわたしは、ギターの音を合わせるように、簡単にはいかなかった。そんな自分にふてくされていたりもした。

頭の中がもやもやしていて、大学に行ってもバイトをしてももやもやは晴れなくて。このもやもやは何なのだろう。チューニングがあわないし、あわせかたもよくわからない。よくわからなくて不安であった。

ふてくされて過ごしていくうちに、世はコロナ禍になりわたしはキャンパスにも行けず、バイトにも行けなくなって、気がついたら今日が何曜日かわからないまま天井を見たまま1日が終わっていた。

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ふてくされたまま20歳になった。20歳という分かりやすい区切りを口実に、とにかく自分にとってエネルギーを使うことをしたいと漠然と思っていた。そんなとき、バイト先の先輩に、毎日日記を書いていることとZINEをつくりたいことを話すと、つくってみなよ!と背中を押してもらい、わたしは20歳のときまでに感じてきたことや、忘れたくないことをテーマにちいさな文章を書くことを決めた。

ZINEとは自主的な出版物のことをいう。わたしはこれまでの日記を読み返して、とにかく考えていることを言葉にしていった。表紙のデザインをするために、はじめてillustratorに触れ、お金が無い中でどうやって印刷するかを考えながら、紙や印刷会社を探した。自分が何者かわからなくて、新しい自分を探しに行く前に、今までの自分の中にあるものを掘り出すことはちょっぴり苦しく、でも、これがかたちになることへの好奇心がうずいていた。

頭の中にあるもやもやは「わたしはどういう人間なのだろう」ということが分からない不安と、20年間生きてきて今のわたしには何が残っているのだろうという焦りだったということに、創作しながら気がついた。そのときにはもう頭のもやもやはすっと消えていた。

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はじめてのZINEが完成したとき、すごく恥ずかしかった。わたしはとても恥ずかしいことをしている。考えていることや感じていることをかたちにすることはずごく恥ずかしかった。そしてそれを人に読んでもらうことはほんとうにほんとうに恥ずかしい。

それでも読んでほしくて、友人に渡したり、サイトを立ち上げてオンライン販売をしたり、ギャラリーでの展示販売などをおこなった。そうすると読んで下さった方が感想を伝えてくれる。自分が見ている自分と、人から見える自分は全然ちがうことに驚いた。わたしは自分の中にある弱さを言葉にしたように思っていたけれど、作品を読んだ人が「あなたは強いね」と伝えてくれたとき、あたらしいわたし見つけてくれた気分だった。

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わたしのチューニングを合わせるには、「何かをつくること」がちょうどよいらしい。恥ずかしさをしっかり感じると、引き換えに不安や焦りは消えてふわっと身体が軽くなる。創作に出会ったわたしは、今でもZINEを作ることで、自分を探しながら色々なわたしにうっかり出くわしている。

しかもそれだけじゃない。つくったものがわたしではない誰かの手に渡ったとき、読んだ誰かが新しいわたしを見つけてくれる。生きていると不安はつきまとうし、わたしの頭は放っておくとすぐもやもやする。

けれど、作品が生まれたあとには、あっぷあっぷしながらもどうにか生き延びようとする3ミリあたらしいわたしがいる。それは、等身大でも真新しいわたしでもない。読んでくれたあなたが見つけてくれて、少しだけたくましくなれたわたしである。