2000年代、DV被害者だった私の“事実”。あの頃より良くなっているか?
何となく今まで生き辛さのある生活をしてきて、何となく今もそれはある。
規則が細かく、周りに迷惑をかけない集団行動を重んじる日本で、「なぜ?」と立ち止まると前に進めない。私は若い時から「いちいち考え込まずに流しなよ? どうして、どうしてって言ってても楽しくないよ」と友人から言われていた。そうかもしれない。少し反抗的でずれている私が悪いと思う癖がつき、自己肯定感は低めだ。でも私は変われないから、社会は現在進行形で少しずつ変わると信じている。
ここからのことは私の主観ではあるが、私が感じた事実だ。そのように見てもらいたい。
2000年代初期に、パートナーからのDV被害に遭った。市のDV相談室に行くと、子どもがいて、家庭にいて仕事についていない人が優先であるような話が聞こえてくる。私は一見肉体的暴力はひどくなく、子どもはなく、仕事はあり、自分で考えて動けると見えたようだ。
「(自分で)がんばりましょうね」ということになる。「逃げたほうがいい。逃げる先は自分で考えて。みんな何となく決めているようだ。実家はパートナーにわかってしまうからやめたほうがいい」「仕事はあったほうがいい」というアドバイスで、「そんな都合のいいことができるわけがない。いったいどこに行ったらいい?」と、途方に暮れる。でも「どうして? どうしたら?」と言っていると、「あなたよりひどい暴力を受けている人もいるんですよ」と諭される。ショックだった。最善ではなかったが、自分でできる範囲で何とかした。肉体的にも精神的にも、その時がんばったダメージがまだ残る。
平気そうに見えても、突然凍りついたり記憶が飛んだり、PTSDの症状は出ていて、そうすると仕事もうまくいかない。離婚手続きのためには弁護士に相談したほうがよいだろうと思った。初回の相談、話の流れで「PTSDの診断を取ったほうがいいですか?」と聞くと、「何言ってるんですか、PTSDは仕事もできなくなるんですよ。あなたがそんなわけないでしょう」と女性弁護士に言われる。私はそのように見えたのか? PTSDの理解は、DVのケースを扱ったことがある弁護士でも、当時はそんなものだった。その人にはその後お願いしなかった。
何とか離婚が決まった時、元パートナーに対し接近禁止命令を取りたいと思った。市のDV相談室の相談員に話すと「接近禁止命令を取る時には、相手に警察が訪ねていく。相手を余計刺激してすんなり離れてくれないかもしれない。やめたほうがいい」と言われた。後に居所を移した先で、警察にDV被害者だと言うと「なぜ接近禁止命令を取らなかった?」と言われる。
私が被害を受けた証拠は何もない。決めたのは私だけれど…、ちゃんと周りに相談していたのに…。何か悔しく、空しく、物事はちぐはぐだと感じた。
私にも混乱した言動はあっただろう。また、相手に言われたことをそのまま「そうですか」と聞いてしまったところもある。ただ被害者が遠慮しなくてよいように、行政には税金を有効に使い、民間とも協力して被害者を多方向から支援してほしい。
DV相談室と言えば、「男性のDV被害者もいるかもしれない、そこも含めて暴力のない世の中になるといいですね」と何気なく言うと「DV被害者は99%が女性なんですよ」という反応が相談員から返ってきた。男性のことは考えなくてよいという意味だ。それが2000~2010年くらいの考え方だった。今なら当時調査が進んでいなかっただけで、男性被害者もいることがわかっている。
時代はあの頃より良くなっているのか。考えを言葉にしながら進んだ私は、風当たりが強いこともあったけれど、できることはやったという気持ちでいる。これから社会は変わるのか? 立ち止まって考える者に社会が追いついてくれたらよい。
立ち止まる自分に対して思うこと。
時々、環境を変えよう。今の常識が全てではない。違う場所で違う人と会う。旅に出るとか、自然の中に入るとか、体を思い切り動かすとか、海外出身の人と話すとか。
感情を大事にしよう。表現して、悲しみすぎず、悔しがりすぎず、幸せは言葉にする。そこにあるすべてが自分。
友達は大事に、でも相手に期待しすぎない。自分を少しでも気にしてくれる人がいたらありがたい。
諦めることも正解、諦めないことも正解。未来は誰にもわからない。その時立ち止まった自分にできたことが正解。
原因探しはしすぎない。原因がわかってもどうしようもないこともある。原因に行きつかなくても、これからのことは変えられる。
そんな気持ちを持って、社会が変わることを期待して歩む人たちと一緒に進みたい。

かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
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